FNSドキュメンタリー大賞
「ハリケーンで倒壊した故郷の小学校を立て直したい!」
“米百俵の精神”で募金活動を続ける在日ガーナ人男性
その姿を通して日本の教育、ひいては日本の現在を問い直す


第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『日本人(わたしたち)が忘れたもの〜ガーナからきた米百俵の心〜』 (制作 新潟総合テレビ)

<10月5日(金)深夜27:30〜28:25放送>
 新潟県長岡市に住むガーナ人のオーガスティン・アゾチマン・アウニさん。ガーナのエリートとして13年前、新潟県大和町の国際大学に文部省の給費留学生として来日した。その後、小泉首相の演説でもすっかり有名になった「米百俵の精神」、すなわち、小林虎三郎の50年・100年先を視野に入れた教育の理想に触れて9年前、長岡市に移り住んだ。
 そのアウニさんは大きな悩みを抱えていた。というのも、故郷のガーナ・プアルグ村の小学校が、ハリケーンで崩壊したものの、いつまでたっても政府が新しい学校を建設してくれないからだ。そこでアウニさんは自分で学校を建設することを決意し、新潟県内でボランティアの協力を得て資金集めを始めることになった。
 そのことを耳にした『スーパーニュース』の柳 華織キャスター(新潟総合テレビ)は、特別珍しい話でもないと感じたが、「学校を建てるのが目的ではない。この活動で日本人が忘れかけている何かを思い出してほしい」と話すアウニさんの言葉に惹かれて取材を始めることになったのだという。
 そもそも、アウニさんが長岡に来たきっかけは、戊辰戦争で荒廃した長岡藩に送られてきた米を売って教育の基礎に当てた米百俵の故事に惹かれたからだという。現在の痛みに耐え、未来の子供たちの教育に投資する。そんな「小林虎三郎の生き方が理想」と話すアウニさんに共鳴した人々の間で学校再建の運動は徐々に広がっていく。柳キャスターは、なぜアウニさんが「教育が一番大切だ」と話すのかを知るために、彼の祖国・ガーナを取材することに…。

 柳キャスターがガーナに到着して最初に驚いたのは、ほかの国の大都市と変わらない首都アクラと貧しいプアルグ村の余りに大きな生活の格差だ。プアルグの村では、子どもたちがハリケーンで壊れた屋根のない小学校で、机も椅子もない中、熱帯の太陽にさらされながら勉強を続けていた。地元の教育事務所の担当者にそのあたりを尋ねると「予算がない」。取材を続けると、大都市とプアルグ村との間にある貧富の差の原因が少しずつわかってきた。
 そこには植民地時代から続く大都市中心の経済政策に加え、イギリスから独立後に発生したクーデターなどによる政情不安の影響が大きく影を落としていたのだ。  国の隅々まで教育が行き届かないために、地方の人たちは英語を話せず、経済発展から取り残されていたのだ。そういう現状を肌で感じているからこそ、「とにかく教育が必要!」とアウニさんはと声を大にして訴えていたのだ。
 しかし、そんな状況の中にあっても、プアルグ村の子どもたちの顔はとても明るかった。そして、村の児童たちが使っている鉛筆に柳キャスターは目を止めた。というのも、その鉛筆は6年前に県立長岡大手高校1年6組の生徒たちが贈った文房具だったからだ。
 当時1年6組の担任だった池山純子先生は、集めた文房具の送料が21万円かかるという現実に直面し、生徒たちと一緒に多いに悩んだ経験があった。厳しい現実を前にして、自分たちの行為は自己満足ではないかと…。
 今、アウニさんは、県内のあちこちの小学校に招かれて講演活動を行っている。彼の講演を聞いた長岡市の栃尾東小学校でもプアルグ村に文房具を送る運動が始まっていた。だが、ここでも送料という問題に直面していたのだ。その現実を児童たちに教えるべきかどうか…先生たちは大いに悩んでいた。

 その一方で、児童の母親や先生たちは、アウニさんと接する中で少しずつ変わり始めていた。
 「子供たちに“あれをしなさい”“これをしなさい”といちいち指示をする今の日本はおかしい。例えばお母さんは毎朝子供を起こしているが、ガーナの子供たちはみんな自分たちで起きている。もっと子供たちの自主性を尊重するのが教育ではないのか…」
 そう話すアウニさんの言葉に、母親や教師たちの間にはそれぞれの鎧を脱ぎ捨てて、もっと子供たちを温かい目で見守ってやろうと考える雰囲気が出てきたのだ。アウニさんの投げかけた問いは少しずつ“私たちの忘れたもの”を思い出させてくれているのかも知れない。

 学校建設の進み具合を取材するために再びガーナに渡った柳キャスター。そこでは村人たちが自らの手で学校を建設していた。自らの力で学校を建設するがゆえに愛着がわくだけでなく、村の公共事業にもなっていた。
 そして日本の子どもたちが集めた文房具もプアルグ村の子どもたちに届いていた。その鉛筆には「がんばれ!」などのメッセージがつけられていた。
 その夜、貴重な発電機を動かして日本からのビデオレターの上映会が行われた。プアルグ村の子どもたちは、日本の子どもたちがどのようにして鉛筆を集めてくれたのかを目を輝かせて見入っていた。日本の新潟県とガーナのプアルグ村…地球を半周するほどの距離を飛び越えて、子どもたちの心がひとつになった瞬間だ。

 そして7月。6年前に文房具を贈る運動をしていたかつての生徒たちが池山先生のところに集まってきた。彼らはその後も年に1回はバザーを開き、プアルグ小学校基金のための活動を続けていた。
 彼らはスタッフが取材したテープを見ながら、その中に自分たちが集めて送った鉛筆が撮影されていたことに気づいた。輸送料の現実に打ちのめされたかつての自分たちの姿に重ねながら、小学生に対して送料に代表される現実の壁があることを教えるべきかどうかにつてみんなで話し合った。彼らの現在の姿は、まさに今鉛筆集めをしている小学生の未来の姿でもあるのだ。

 そんな仲間の1人が「笑えなくなったら終わりだ」と話した。「ボランティアを行う上で大いに悩むのはいい。だけど悩みを通り越して笑えなくなってしまったら、もうそれ以上続けない方がいいのではないか…」。
 悩みながらもボランティア活動を続けてきた彼らだからこそ言える一言なのかも知れない。
 「一緒に笑えあえるボランティア」…それが悩んで見つけた彼らの一つ答えだった。

 そんなある日、アウニさんがプアルグ村の子供たちの返事を持って帰ってきた。「顔の見える援助」の意味を伝えたかったからだ。子供たちからは、「人間の手であんな学校が出来るとは思わなかった」「屋根が無くて大変だと思った」などの声が次々と発せられた。ここでも遠く離れて子どもたちの心が通い合う瞬間がここにもあった。

 「50年後にどういう日本に住みたいのか。そんな自分たちが住みたいニッポンを自分たちの力を作らなければならないのだ…」

 「米百俵の精神を忘れないでほしい」とアウニさんは今も訴えを続けている。
 そして、取材も終盤に差し掛かった8月、プアルグ村の小学校が完成したという知らせが児童たちのもとに届いた。「ありがとう」の言葉を添えて…。

 10月5日(金)深夜27:30〜28:25放送の第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『日本人(わたしたち)が忘れたもの 〜ガーナからきた米百俵の心〜』(制作 新潟総合テレビ)にご期待下さい。


<番組タイトル> 第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『日本人(わたしたち)が忘れたもの〜ガーナからきた米百俵の心〜』
<放送日時> 10月5日(金)深夜27:30〜28:25
<スタッフ> プロデューサー : 山田俊明(新潟総合テレビ)
ディレクター : 柳 華織(新潟総合テレビ)
構    成 : 水落恵子
<制 作> 新潟総合テレビ

2001年10月1日発行「パブペパNo.01-332」 フジテレビ広報部