FNSドキュメンタリー大賞
平成不況の厳しい風をまともに受けている町工場
次の仕事もどうなるかわからない状態で日々仕事をする職人達
しかし、彼らの表情は決して暗くはなかった

第9回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『平成・町工場』 (制作 東海テレビ)

<6月28日(水)深夜26時45分放送>

 バブル崩壊後、日本経済は凋落の一途をたどった。およそ10年の失われた時間を経て、1999年も終わろうとしたところで、ようやく景気が底打ちしたといわれるようになった。しかし、それを実感できるのは限られた企業のみ。日本経済を下から支える中小・零細企業は未だに厳しい経営を強いられている。事実、経営の行き詰まりなどが原因で廃業・倒産する中小・零細企業は今も跡を絶たない。平成不況の冷たい風は吹き止むことはない…。
 6月28日(水)深夜26:45〜27:40放送の第9回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『平成・町工場』(制作 東海テレビ)は、名古屋市港区にある町工場群を半年にわたって取材し、不況に負けず、職人としても誇りを持ちながら、ひたむきに働きつづける人達の生きざまを描いたドキュメンタリーである。

 東海地方の産業の中心地・中京工業地帯の一角にスレートぶきの屋根がひしめく場所がある。名古屋市港区神宮寺(じんぐうじ)。かつて沼地だったこの場所には、昭和48年頃から町工場が建ち始めた。現在ここには旋盤、熔接、板金、プレスなど製造業を中心にさまざまな業種の町工場およそ60軒が軒を連ねている。
 土古(どんこ)熔接工業所の経営主・加藤政雄さんは今年65歳。中学卒業後すぐにこの道に入ったキャリア半世紀のベテラン職人だ。加藤さんは27歳のときに土古熔接を創業、昭和48年に神宮寺に工場を借りて現在に至っている。主な製造品はパイプ椅子で、高度経済成長の波に乗って一時は月に50,000脚を生産、従業員7人を抱えるほどになった。しかし今、従業員は長男と三男の二人のみ。しかも不況の影響で椅子の売り上げも一気に4分の1まで落ち込んだ。3年前からベビー椅子の製造販売も始めたが、少子化のあおりを受けて注文が少なくなった。
 土古熔接の従業員である長男と三男はいずれも脱サラで父親の家業を継いだ。「昔から父親の姿を見ているため、汗を流してするのが仕事だと思った」というのが理由だった。しかし、二人ともプレス機で作業中に手を挟まれ指を失った。父親の加藤さんは、自分の子供が仕事を継いでくれたことを喜ぶ一方で、3K職場の宿命を嘆く。
 赤字ながらも平成11年まではどうにか仕事をこなしてきた土古熔接だが、12年になると、取り引き会社の一つが、突然ベビー椅子の注文を断ってきた。納入先の倒産などが原因だった。何とか対策を講じたい加藤さんだが、現在の状態では何ともしようがなく、酔えない晩酌が続く毎日だ。

 神宮寺には平均年齢60歳の3人兄弟が働く町工場がある。機械部品加工業の梅澤鉄工所だ。兄弟の真中で社長の梅澤善光さんは61歳。旋盤工としてこの道に入ってからすでに47年が過ぎた。梅澤さんの旋盤工としての技術は他の旋盤工が一目置くほどで、わざわざ遠くの会社が梅澤さんを頼ってやって来るほどだ。事実、梅澤さんは、今や世界に冠たる企業となった自動車メーカーが衝突テストで使う衝撃吸収装置を一人で請け負った実績がある。
 バブル景気のとき、企業が設備投資を進める中、梅澤鉄工所も業績を伸ばし、わずか3人で5000万円を稼ぎ出した。しかしバブルがはじけると二次、三次下請けの梅沢鉄工には仕事が下りて来なくなり、一気に赤字経営に転落した。金融神話さえも崩壊した平成不況、梅澤鉄工所は「銀行は冷たい、昔はいくらでもお金を借りてくれといっていたのが、今では金がないと相談しても耳も貸してくれない」と現在の町工場に対する冷遇ぶりに不満をぶちまける。
 実は梅澤さんは重い過去を背負っていた。3年前、親会社の社長が自ら命を絶った。会社経営の行き詰まりが自殺の動機だった。この社長が亡くなってから梅澤さんの元に遺書が届いた。それとともにこの社長の保証人として肩代わりした借金が残った。梅澤鉄工所には後継者はいない。だが梅澤さんは今もこれからも、毎月この借金を返済し続けなければいけない。でも梅澤さんは「自分が作った品物が今でも動いているのを見るのが嬉しい、今の仕事には誇りがある、人が出来なかった仕事が出来たのが嬉しかった」と語る職人だ。
 その他、「子供の頃からモノを作るのが好きで、今でも同じような気分で仕事をしている、小学生が工作をするようなもので、自分は『工作小僧』を40年以上やっている」と仕事に対する愛着を語る、板金加工業で安藤製作所の安藤登志光さんのこだわりを持った仕事への取り組みを描く。  平成不況の厳しい風をまともに受けている町工場。確かにそこで働いている職人達は次の日の仕事もどうなるか分からないような状態で日々仕事をしている。だが、この人たちの表情は決して暗くはなかった。今までやってきた自分の仕事に満足しているようで、不況の中でも自分の工場にいられると言うことで気持ちが落ち着くと言う。

 取材に当たった東海テレビの梅村育宏ディレクターは、
「町工場という小さな場所から、平成不況の現状をとらえようと試みました。町工場の職人は日々同じような仕事をこなし、生活を送っています。一見単調な毎日ですが、いかに単調であれ、彼らにとっては仕事が出来ることこそが生きる喜びにつながっているようでした。スタッフはこの瞬間をとらえるべく、足繁く神宮寺に通いました。こうした瞬間を描くことで、不況下でも誇りを持ち、したたかに生きる職人達の喜怒哀楽を視聴者の方に感じ取っていただければ、と思います」と語っている。


<番組タイトル> 第9回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『平成・町工場』
<放送日時> 5月31日(水)深夜26:25〜27:20
<スタッフ> ナレーション  : 平田 満
制 作 統 括 : 広中幹男
撮    影 : 塩屋久夫
編    集 : 奥田 繁
効    果 : 岡 泰典
取 材 構 成 : 梅村育宏
<制 作> 東海テレビ

2000年5月31日発行「パブペパNo.00-161」 フジテレビ広報部