FNSドキュメンタリー大賞
海外での初の大舞台にナーバスになる息子、それを支える父親。
明け透けに思うことを言い、本音をぶつけ合う二人の姿に、父と子として、そしてビリヤードという競技を通しても固く結ばれた親子の絆を見た。

第9回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『絆・ビリヤード 〜父と子、世界の先に見たもの〜』 (制作 岩手めんこいテレビ)

<5月10日(水)深夜26時25分放送>

 「……試合になるとどうしても左足が気になる……世界大会にはちゃんとして来たかった……でも無理な話だから……」
 比較的、地味なイメージで捉えられているビリヤードにも、一大ブームの時期があった。それはちょうどバブル絶頂の頃だ。そのきっかけとなったのが、86年に公開されたトム・クルーズ主演の映画「ハスラー2」。ポール・ニューマンが見せたキューさばき、そして映画の舞台となった酒場にビリヤード台を配した「プールバー」に多くの若者が憧れた。そして、全国にファッショナブルな「プールバー」が乱立したが、バブルの崩壊とともにブームも終息した。
 しかし、そういった流行廃りとは無縁のビリヤードの愛好家は、今も昔も変わらず多い。年齢や性別に関係なく手軽に楽しめる点などが魅力なのだろう。さらにトッププレーヤーともなれば、テーブル上の全てのボールの位置から次のプレーを瞬時に決める判断力や、キューと指先にこめる力加減にかなりのデリケートさが求められ、さらに相手との駆け引きや、半日近く闘う体力と精神力なども必要で、まさしく真の「スポーツ競技」だ。98年12月、タイのバンコクで開かれたアジア競技大会では正式種目になった。
 5月10日(水)放送の第9回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『絆・ビリヤード 〜父と子、世界の先に見たもの〜』(制作 岩手めんこいテレビ)は、親子として、さらにビリヤードという競技を通して固く結ばれたある父と子の姿を通して「親子の絆」、ひいては家族のあり方について考える。

 1999年12月、年に一度の「WPA世界ナインボール選手権」は、スペインの地中海に面した保養地アリカンテで開催された。ビリヤードの「ナインボール」とは、6つのポケット(穴)があるテーブルで番号のついた9個のボールを順番に落としていく競技だ。プロ・アマを問わずトッププレーヤーしか参加できない最高峰のこの大会に、世界の25の国と地域から143人の選手が出場した。日本からは16人のプロと、20歳以下のジュニア部門にアマチュア2人の合わせて18人が出場したが、そのジュニア選手の一人が、岩手県立盛岡商業高校2年の佐藤隆宏(さとう・たかひろ)君(17)だった。その実力は国内のジュニアクラスでは図抜けている、と専門家は語る。99年3月に東京で開かれた国内予選を兼ねた東日本大会を圧倒的な強さで2年連続制して、世界選手権出場を決めた。その前年は日本からのジュニア部門の出場枠が一人で、西日本大会の優勝者との決定戦に残念ながら敗れていた。佐藤君にとっては、今回が初めて臨む海外での大舞台だった。

 隆宏君は8歳の時に初めてキューを握った。それは父親がたまたま、ビリヤード店を経営していたからだった。岩手県盛岡市三本柳、そこに隆宏君の父・清(きよし)さん(47)が営むビリヤード店がある。幼かった隆宏君にとって父親の店は格好の遊び場だった。
 清さんはこう振り返る。
「最初は危ないから止めろと言った、でも玉を突くのが好きみたいで…。そのうち、からかい半分でお客さんが相手をするようになって、自然に覚えていったって感じですね…」
 右利きでありながらサウスポーのフォームで器用に玉を突く隆宏君。それは、自分のハンデを克服するために自然に身についたフォームだ。そのハンデとは、幼い頃に交通事故で負った左足の傷…。実は、彼の左足は右に比べ5センチ短く、筋力もかなり弱い。その左足を現在は特注のブーツとプロテクターで補っているが、前屈みの姿勢を取ることが多いこの競技では、ハンデであることは否めない。

 世界選手権ジュニア部門には8カ国から16人の選手が出場した。試合は11ゲーム先取のダブルイリミネーションという方式で行われる。1回戦の隆宏君の対戦相手は同じくアンダー・トゥエンティーのジュニア選手とはいえ、プロ・ライセンスを持つアメリカの選手だ。試合が始まった。何よりも集中力が問われるビリヤードなのだが、隆宏君にはいつもの冴えが見られず、思うようにキューが出ない。苦しい試合が続く…。
 大会の始まる前夜、アリカンテ市内のホテルで、千葉徳雄ディレクター(めんこいエンタープライズ)は隆宏君と付き添いで同行した父・清さんにインタビューをお願いした。カメラをセットしている間に父と子がこんなやり取りを始めた。慌ててスタッフもカメラを回す。

 「ここまで来たんだから、やることをやればいいんだよ」優しい言葉をかける父。
 「こんな足の状態では来たくなかった!」息子が反抗的に言う。

 初の大舞台を前にして、足について弱音を吐くなど、これまで見たことがないほどナーバスになっている。
 「来たくたって来ることの出来ない人だっているんだ、お前は幸せなんだぞ、俺だって羨ましい」父親も率直に本音をぶつける。

  ………。
 「腕には自信がある」
 「分かっている、俺が一番お前の腕を知っている」
 「………結果が悪いと、こんなもんだと思われる」
 「しょうがないじゃない!人とは違うんだから!」
  ………。


 二人はそこに取材カメラがあることも全く意識せずに、ごく自然に本音をぶつけ合った。一見、親子相克の場と思えるかも知れない。が、長期にわたり二人を間近で見つめてきた千葉ディレクターには、父と子として、そしてビリヤードという競技を通しても固く結ばれた親子の絆を確かめ合っているのでは、と思えた。あの夜のあの時間、そこは他人の入り込めない二人だけの空間だった。ただカメラを通して見守るしかなかった。
 千葉Dは、「自分のことを振り返ってみると、高校生の頃は父親とほとんど会話らしい会話をしなかったように思います。それを考えれば、佐藤さん親子はとにかく羨ましく思えました」と語る。
 1回戦は大詰めを迎えた。あと1ゲームで隆宏君の初戦突破が決まる。しかし対戦相手が驚異的な追い上げを見せる。
 隆宏君は、試合中悩み出す。やはり左足が痛むのか…。前夜、二人の間にはこんな会話もあった。

 ……。
 「足のために負けたとか……それを理由にしてしまうことが悔しいんだと思う……足をなんとかしてやりたい……」父親の切ない思い。
 「この足がどうにかならない限り……このまま続けていてもしょうがない……やめたいと何回も思う……」息子の思い…。

 東日本大会を制し世界選手権出場を決めるまでの過程、そしてスペインでの世界選手権での戦いを通して、番組は隆宏君と清さんに長期間密着した。弱音、自信、戸惑い、怒り、不安、疑問、慰め、激励…。二人はいつもそうだが、明け透けに思うことを言い合い、本音をぶつけ合った。その姿を見ていて、千葉Dは家族とは?家族の絆とは?と考えずにいられなかったという。
 「実は、清さんは3年前にJPBA(ジャパン・ポケット・ビリヤード・アソシエーション)のプロ試験に合格しプロ資格を取得しました。プロとして試合に出て賞金を稼ぐのが目的ではありません。息子の将来のために自分に何が出来るか…を自問し、プロとなってその姿を見せることが一番と考えたからだったのです。何と44才のプロデビューです。清さんのビリヤード歴、キャリアから考えればあまりにも遅いプロデビューですが、そこから息子を思う父の気持ちが痛いほど伝わってきました。この番組を見た後、『せつなさ』を感じていただければ、そして親子というものについて何かを考えるきっかけになればと思います」(千葉D)

 隆宏君は果たして、試合で勝つことができたのだろうか?
 少子化、そして家庭内暴力など社会問題として「家族のあり方」が問われている現代。
 本音でぶつかる父と子の姿を通し、「家族」そして「絆」というものを考える。



<番組タイトル> 第9回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『絆・ビリヤード 〜父と子、世界の先に見たもの〜』
<放送日時> 5月10日(水)深夜26:25〜27:20
<スタッフ> プロデューサー  : 矢野信雄、田山裕明(共に、めんこいテレビ)
構成・ディレクター・編集 : 千葉徳雄(めんこいエンタープライズ)
撮   影 : 山口正年、加藤幸平、浅沼淳一(以上、めんこいエンタープライズ)
編   集 : 浅利泰介、藤沢正年(共に、めんこいエンタープライズ)
選曲・MA : 山内智臣(めんこいエンタープライズ)
<制 作> 岩手めんこいテレビ

2000年4月20日発行「パブペパNo.00-116」 フジテレビ広報部