FNSドキュメンタリー大賞
捕虜に対し直接手を下した事実はなかったが、
英軍のシンガポール法廷で捕虜管理の責任者として厳しく断罪され
刑場の露と消えた父の面影を追い求めて、
タイ、そして、シンガポールへと旅する中村達雄さんの姿を追いながら、
戦争裁判の実相に迫り 戦争の虚しさを描く。

第13回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『戦場の憂鬱』
(制作 テレビ熊本)


<9月9日(木) 午前2:58〜3:53>
【9月8日(水)26時58分〜27時53分】



 熊本市に住む中村達雄さんは父親を終戦後の戦争裁判で亡くした遺族だ。泰(タイ)捕虜収容所の所長だった父親の中村鎮雄陸軍大佐は、映画『戦場にかける橋』の舞台ともなった泰緬鉄道(タイ〜ミャンマー)の建設を巡って、戦後、BC級戦犯で逮捕された。逮捕容疑は連合軍捕虜に対する虐待(ジュネーブ条約違反)だった。中村大佐は、捕虜に対し直接 手を下した事実はなかったが、英軍のシンガポール法廷で捕虜管理の責任者として厳しく断罪され 刑場の露と消えた。享年63。
 この裁判で異例だったのは判決の中身だった。裁判長が英軍司令部に減刑を嘆願する旨を明らかにした。情状酌量の背景には、ある事件があった。中村大佐は、この事件の処分を巡って法規に基づいた行動を取り 博愛の精神で事件の関係者を厳しく処分した。この対応が人道家として裁判官の心に止まったのだ。しかし、中村大佐の一縷の望みは叶わなかった。
 “お国のために”と還暦近くになってもなお、熱帯の収容所長を務めた中村大佐だった。軍部の方針に従い、その任務を無事終えたものの、その矢先に待っていたのは戦争犯罪人の汚名と裁判による絞首刑という無念の末路。
 情状酌量付きの死刑判決という奇妙な判決についてもっと知りたい。息子の達雄さんは裁判の真相を知りたいと立ち上がったのだ。戦後の闇とされたBC級の戦犯裁判、私たちはその史実を後世にどう伝えたらいいのだろうか。こうした悲劇の背景には、戦前戦中の人権を軽視した日本人の捕虜観が大きく影響しているように思われる。
 戦後58年、日本国民に戦争の当事者感覚が薄れてきている現実は否めない。しかし、泰緬鉄道で強制労働を強いられた元英軍捕虜から、日本は、今なお厳しい視線が注がれている。

 9月8日(水)放送の第13回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『戦場の憂鬱』(制作テレビ熊本)<2時58分〜3時53分>では、タイ、そしてシンガポールへと父の面影を追い求めて旅する中村達雄さんの姿を追いながら、戦争裁判の実相に迫り戦争の虚しさを描く。父が最期を遂げたシンガポールの地は、達雄さんの目にどの様に映ったのだろうか。


<徳永幹男ディレクターのコメント>
 このテーマは、元々は当社の戦後50年企画として立案し、特番として制作予定でしたが、調査不足等で期が熟せず、先送りとなっていたものでした。それから8年余り、今回、 取材対象者の中村家との充分過ぎる位の話し合いで 漸く理解をもらい、取材に入る事ができました。
 この歳月が当企画の内容の複雑さを物語っていました。戦後史の闇ともいえる戦犯問題は、否応なしに遺族の家族史に立ち入り 名誉にも触れるものです。しかも、戦争の歴史を偏向させかねない内容のため 慎重さと共に制作者の姿勢が問われるテーマでした。
 清廉潔白な父親だったという思いを胸の奥にしまい戦後を生き続けた遺族の姿を、是が非でも取材したい そのためには本音をどう引き出すか、また 戦犯裁判の判決で極刑を言い渡されたにも拘わらず 裁判長が情状酌量を明言した意味、これらが制作のポイントでしたが、その核心部分に迫れなかった事が残念でした。
 戦後世代の私たちにとって、この問題は理解しようにも 簡単に理解できるものでなく 無限大に相当する根深いものと再認識した次第です。
 イラクでは今も紛争が続いています。戦犯の悲劇を繰り返す事なく人間が人間として豊かに生きられる世界である事を切に願うだけです。




<スタッフ>
 プロデューサー 杉山幸宏(テレビ熊本)
 ディレクター 徳永幹男(テレビ熊本)
 ナレーター 阪 脩
 撮影 立山秀人
川口 忍
松村龍哉
<編集> 可児浩二
<選曲> 菊地宏道

2004年08月12日発行「パブペパNo.04-236」 フジテレビ広報部