FNSドキュメンタリー大賞
55年の歴史を誇る「かみのやま競馬場」は山形県内唯一の競馬場。
今年一月、上山市長は市の財政難のため突然「競馬場廃止宣言」を打ち出した。
犠牲となるであろう、競馬場で生計を立てる人々はおよそ1200人。
彼らが生きがいを持って働く競馬場が、本当に失われるべきなのかに迫る。

第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『迷走の代償〜上山競馬は救えたか〜』 (さくらんぼテレビ)

<12月17日(水)2時58分〜3時53分【12月16日(火)26時58分〜27時53分】放送>
 55年の歴史を誇る「かみのやま競馬場」は山形県内唯一の競馬場。今年一月、上山市長は市の財政難のため突然「競馬場廃止宣言」を打ち出した。赤字体質が続く中、改善策を持たなかった行政側に翻弄される関係者たち。新たな経営方針を打ち出し「かみのやま競馬場」を存続する道はなかったのだろうか。犠牲となるであろう、競馬場で生計を立てる人々はおよそ1200人。12月16日(火)放送の第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『迷走の代償〜上山競馬は救えたか〜』(さくらんぼテレビジョン)<12月17日(水)2時58分〜3時53分【12月16日(火)26時58分〜27時53分】>では、彼らが生きがいを持って働く競馬場が、本当に失われるべきなのかに迫る。

(あらすじ)
 人口およそ3万6000人の山形県上山市。蔵王と県内有数の温泉地を抱えた観光地にも関わらず、隣接する県都山形市に比べ財政基盤は脆弱化している。上山市は生き残り策として「広域合併」を選択した。広域合併は、そもそも自治体の規模が大きくなることで、小さな町や村ではできないようなさまざまな住民サービスができるようにと考えられた。また、市町村を統合して行政の効率化を図るという狙いもある。現在、県都山形市を中心とした上山市・山辺町・中山町の2市2町の広域合併が協議されており、地方自治法に基づいて30万人以上の中核都市を目指している。
 そんな中、頭を抱えているのが「上山市」だ。上山市の今年度の予算は年間およそ117億円。一般会計はかろうじて黒字をキープしているが、特別会計が大きな赤字を出している。特別会計の中心事業は「かみのやま競馬場」。上山市は今年度一般会計から補てんして赤字幅を12億円程度に縮小した。ところが、ここに大きな問題があることが判明した。国は予算の20%以上の赤字を抱えた自治体を地方債の発行などを制限する「財政再建団体」に指定。このため、自治体単独での自主再建が不可能となる。上山市の標準財政規模は76億円。赤字額がその20%以上、つまり、15億2000万円を越すと「財政再建団体」に転落する。「かみのやま競馬場」の累積赤字は22億円。そこから、資産を処分するなどして、12億まで赤字を圧縮した。しかし、あと3億円で赤字団体へと陥る。
 「存続か」「廃止か」を巡って、今、揺れに揺れている「かみのやま競馬場」。廃存問題が浮上したのは、今年1月。多額の累積赤字に頭を痛めた阿部・上山市長は「今シーズンの赤字が3億円を超えた時点で廃止したい」と突然の「廃止宣言」を打ち出した。市長の突然の表明の裏には、競馬場の累積赤字による財政再建団体入りがある。当然ながら、競馬場で生計を立てるおよそ1200人が猛反発した。阿部市長は「来シーズン競馬を開催する」と去年の12月議会で答弁していた。それが年明けの突然の「廃止宣言」。方針が急転換したのはなぜなのか。市長は「財政再建団体」に転落しないために赤字運営が続く「かみのやま競馬場」を切り捨てたのだ。
 今年春、一方的に条件を押しつけられたまま「かみのやま競馬場」は開幕の日を迎えた。市側の条件は15回通年開催としたものの、賞金・出走手当の大幅カットという、すべて、競馬関係者へのしわ寄せとも思われる厳しい中身だった。しかし、成績は最悪。5開催でおよそ1億5000万円の赤字となり綱渡りの運営が続いている。突然の廃止宣言は世のすう勢とも取れるが、果たしてそれだけだろうか?取材はその疑問から始まった。
 東北最大の都市「宮城県・仙台市」。人口100万人を数える政令指定都市にはなぜか、JRAも地方競馬も場外馬券場を作っていなかった。赤字解消に向け上山市は、かつてから宮城エリアに目をつけていた。かみのやま競馬ファンの40%が宮城県からの客だったことから売上げにつながると信じていた。仙台市内から車で40分のところにある宮城県大郷町には、1999年に多摩川競艇の場外舟券売り場がオープン。この施設と併設した場外馬券場を建てる計画案があがった。年間売上げは、当初およそ100億円を見込んでいた。
 ところが、予想もしない事態が起きた。上山市が手続きに手間取っているうちに、2001年4月、同じように仙台エリアに目をつけていた「岩手競馬」が、大郷町の隣町・三本木町に「岩手競馬」が場外馬券場をオープンした。年間の売上げ見込みを上回る60億円を越えるドル箱状態となった。
 先見の目を持って生き残り策を検討していた「かみのやま競馬場」との違いは、フロントの差にあった事がわかった。岩手競馬は競馬事務組合というプロパーが中心になって運営していた。一方、「かみのやま競馬場」では、経営のプロではない市から出向した職員が運営に携わっていたのだ。また、2年おきに人事異動も行われていた。これでは経営は成り立たない。本来、自治体の財政を潤すことを目的としていた公営ギャンブルが、なぜお荷物となったのか…。競馬場の売り上げが低下したのは、今日に始まったものでは決してない。他の地方競馬は売上げ減少に悩みながらも手だてをうちながら運営を続けている。
 新たな経営方針を打ち出し「かみのやま競馬場」を存続する道はないのか。犠牲となるのは競馬関係者やそこで働く人々。なぜ、リストラさせられてしまうのか、証言と記録からいくつかの疑念が浮かび上がった。かつて市のドル箱とまでいわれた「かみのやま競馬場」の終焉は、最終コーナーにさしかかろうとしている。しかし、競馬場で生計を立てるおよそ1200人の真のレースはこれから始まる。赤字体質が続く「かみのやま競馬場」の改善策を考えてこなかった行政側の都合で、翻弄される競馬関係者。彼らが生きがいを持って働く競馬場が、本当に失われるべきなのか考える。

 さくらんぼテレビの吉川圭一ディレクターが、上山競馬に初めて足を運んだのは、取材を通して、開催が危ぶまれていた今年初めのニュース取材だった。市側の対応に真剣に抗議している人達と出会う。「この人達はなにを守ろうとしているのか?」その疑問を解きたくて関係者に接触し始めた。取材は、競馬場の裏に立ち並ぶ馬房団地に挨拶に行くことから始まった。完全に隔離された不思議な空間で、馬が何頭も散歩をしている。びくびくしながら厩舎にたどりつくと、取材中お世話になった厩舎の松浦調教師から「体験してから取材をしなさい」と助言を頂く。取材対象の中に入って取材が続いた。厩務員との待ち合わせは、深夜2:00。普段なら眠りに入る時間帯であるが、彼らの作業はここから始まる。馬のベットであるワラを取り替える重労働が続けられる。馬の尿を含んだワラは予想以上に重くて、終わったころには手も腰もずっしり重くなっている。毎日のように厩舎に通ううち、厩務員の気持ちがわかるようになった。自分の育てた馬がいい走りをし、レースでいい成績をあげる。当然ながら、生き物相手の仕事だから一瞬も気が抜けないプロ根性。競馬場に通うにつれて、仕組みもだんだんわかってきた。プロが育てた馬がいるのに、レースを興行としてお客さんに提供する主催者がアマチュアという構図。そして、関係者とは無関係の所で、競馬の存廃は主催者である市の胸三寸で決められてしまう現実。競馬場の仕組みが解ってくるにつれて「人間模様を描きたい」という思いが、廃止を目指す主催者に対して「本当にこれでいいのか?」という疑問に変わっていった。
 一口に競馬場といっても、そこを支えているのは騎手や調教師だけでなく食堂、新聞売り、予想屋さんと、数多くの人達が関わりあっている。全員に共通するのは、「競馬が好き」ということ。取り巻く人たちの何気ない日常から、関係者が大切にしているかけがえのないもの、そして、それらが広域合併を控えた財政難という行政の都合でなくなろうとしている現実を伝えたい。
 「廃止」して本当に良いのか? 住民の生活を守るはずの行政が、市民の幸福を奪っていいのか?ということを考え直す材料になればと考えている。




プロデューサー古内英樹
ディレクター吉川圭一
構成高橋 修
ナレーター堀井真吾
撮影・編集和田幸一
制作さくらんぼテレビジョン

2003年12月10日発行「パブペパNo.03-380」 フジテレビ広報部