FNSドキュメンタリー大賞
全共闘運動のリーダーが追い求めた理想の医療とは何か?
地域医療や在宅医療とはどんなものかを描き、高度に専門化した現代医療の問題点を問いかける!!

第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『聴診器を温めて
 〜ある医療改革者の遺言』
 (長野放送)

<10月22日(水)2時38分〜3時33分放送>
 先駆的な地域医療の実践で全国に知られる諏訪中央病院(長野県茅野市)の元院長で参議院議員(民主党)の今井澄が昨秋、胃がんで亡くなった。今井は東京大学の学生時代、全共闘運動のリーダーだった。国会での演説映像、関係者のインタビュー、生前に残した録音テープなどをまじえ、彼にとって全共闘運動とはどんなものなのか、また今井が追い求めた理想の医療とは何かを探る。

 10月22日(水)2時38分〜3時33分放送の第12回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品「聴診器を温めて〜ある医療改革者の遺言」(長野放送)では、地域医療や在宅医療とはどんなものかを描き、高度に専門化した現代医療の問題点を問いかける。

≪あらすじ≫
 今井は、学生運動の闘士だった。大学紛争がピークに達した1969年、東大全共闘防衛隊長として安田講堂に最後まで立てこもって逮捕された。地域医療を志し、諏訪中央病院の医師となったのは1974年。つぶれかかっていた病院をたて直すとともに「病院のいらない地域づくり」をめざして、病気の予防活動に力を入れた。病院で診察を終えた後、毎晩のように八ケ岳山ろくの集落を回り、住民に減塩運動など健康づくりを呼びかけた。

 彼は非常に心配りの細かい人だった。それをあらわすエピソードに、冬は聴診器を手でこすって温めてから、使っていたという。患者の立場にたった医療を常に心がけていた。そうした地道な活動が住民の信頼を得て、諏訪中央病院は地域医療の拠点となっていった。

 東大紛争から8年後、彼の懲役刑が確定した。大勢の患者に見送られ、内科の医学書を携えて静岡刑務所に向かった。今井は外科の医師だったが、地域医療には不可欠な内科の知識を、服役中に習得したいと考えたのだった。

 その後、諏訪中央病院に復職。1980年、40歳の若さで病院長に抜擢された。病院経営が軌道に乗ると病院長を8年で引退、鎌田 實医師にバトンタッチした。

 1992年、旧社会党から参議院議員に初当選。その後、民主党に移った。急ピッチで進む高齢化社会に対応した医療、福祉政策の充実に尽力した。2000年、胃がんを患ってからも、日本の医療を変えようと精力的に政治活動を続けた。

 昨年7月、国会が閉会すると茅野市の自宅に戻った。「人は自宅で生まれ、自宅で死んでいくのが自然」といつも語っていた。痛みを和らげる緩和ケアを受けながら、残された時間を家族とともに過ごした。

 「患者の胸に冷たい聴診器を当ててはならない」──その志は諏訪中央病院の若い世代に受け継がれている。

≪制作担当者のコメント:長野放送制作部ディレクター 宮尾哲雄≫
 「同じ全共闘世代の一人として、今井澄さんに、いつか、じっくりお話を伺いたいと思っていましたが、それを果たせないまま、今井さんは昨年9月に亡くなられました。
 遅ればせながら、今井澄さんがめざした理想の医療とは何だったのか、今井さんにとって全共闘運動とは何だったのかを知りたいと思い、番組制作に着手しました。
 取材をはじめてみると、今井さんと親交のあった医師や看護師、保健師など多くの人が「今井先生のためなら喜んで」と協力してくれました。これも今井さんの人柄のお陰です。
 今井さんが諏訪中央病院の医師だった当時、私は一度だけ診察してもらったことがあります。温もりのある聴診器を体に感じながら、この優しい先生が東大安田講堂防衛隊長だったとは、にわかに信じられませんでした。
 全共闘の闘士、病院の医師、さらに国会議員へと多彩な経歴をもつ今井さんですが、人間らしく暮らせる社会をめざして、理不尽なことや権威主義とは徹底的に闘うという姿勢は、62年の生涯を通じて一貫していました。
 今井さんにとって全共闘運動とは、ヒューマニズムと民主主義実現のための闘いであり、医療改革にかける情熱の源であったのだと思います。
 番組がひとつのきっかけとなって、日本の医療についての論議が深まり、医療改革が進展することを願っています」。

<プロデューサー> 山口慶吾(長野放送)
<ディレクター> 宮尾哲雄(長野放送)
<構成> 宮尾哲雄(長野放送)
<語り> 小山菜穂子
<撮影> 梨子田 眞(ビデオ企画)
岩田光至(ビデオ企画)
水内通晴(ビデオ企画)
高橋 慶(長野放送管財)
<編集> 梨子田 眞(ビデオ企画)
<音響効果> 矢島善紀(長野トップ)
木藤秀久(長野トップ)
<映像技術> 北沢 洋(メディア工房)
宮沢貴宏(メディア工房)

2003年9月25日発行「パブペパNo.03-282」 フジテレビ広報部