FNSドキュメンタリー大賞
全国的に増え続ける不登校・高校中退。
国が抜本的な解決策を見出せない中、
通信制高校に在籍する生徒の高卒資格を取る手助けをする民間の教育機関「サポート校」が注目されている。
番組では、福岡県内最大規模のサポート校を取材。
そこに通う生徒や親、先生たちの葛藤、模索する姿を通して、今の教育制度や社会が抱える問題点などを浮き彫りにする。

第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『学校を棄てた子どもたち』 (テレビ西日本制作)

<10月1日(水)午前3時5分放送>
 全国的に増え続ける不登校・高校中退。国が抜本的な解決策を見出せない中、通信制高校に在籍する生徒の高卒資格を取る手助けをする民間の教育機関「サポート校」が注目されている。10月1日(水)放送の第12回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『学校を棄てた子どもたち』(テレビ西日本制作)<午前3時5分〜4時>では、福岡県内最大規模のサポート校を取材した。そこに通う生徒や親、先生たちの葛藤、模索する姿を通して、今の教育制度や社会が抱える問題点などを浮き彫りにする。また、サポート校の生徒たちが、お隣り韓国を訪ね、同じ境遇の子どもたちと交流する様子も取材。日韓の不登校・高校中退事情の違い、サポート校のシステムの違いなどを比較し、日本の現状や問題点をあらためて見つめなおすきっかけとした。

 今回取材したサポート校は、生徒数が200人を超え、福岡県内最大。通信制高校とサポート校は、一般の高校と塾のような関係。サポート校では通信制高校に提出するレポートの指導をしたり、通信制高校への登校日には大型バスを手配し、生徒たちをまとめて送り迎えする。
 番組中には、いろんな事情で学校を辞めてサポート校に通う子どもたちが出てくるが、主人公的役割は、3人の生徒。1人は小学生のころ父親がいないことを友人にけなされ、中学卒業まで学校を休みがちとなる。高校に入ると友人関係など環境の変化に順応できず、結局2年で学校を辞め、サポート校に入った。

 高校1年の男子生徒はバスケットでアメリカ留学を希望したが、親や担任に反対された。それでも、なかば強引に渡米したが、現実の厳しさを痛感し帰国。自暴自棄になっていたところを親の希望でサポート校に入学させられた。
 美容師を目指す18歳の女子生徒は、高校時代の友人関係がうまくいかず退学。高卒資格だけはとりたいと、サポート校入学を決意した。
 ここに通う生徒たちは、いずれも自分のペースでサポート校生活を有意義に過ごし、高卒資格もほぼ100パーセントに近い確率でとれる。だれもが「サポート校は楽しい」という言葉を口にする。しかし、進学か就職か進路を決める時期になると厳しい現実に向きあわされる。大学進学をしたくても学力的に難しく、就職をしたくても不景気の影響もあって受け入れてくれる会社はほとんどない。

 一方、福岡市内の別のサポート校では、先生と生徒たちが韓国・釜山へ行くことになった。同じ境遇のサポート校の生徒たちと交流し、日韓の文化の違いを感じると同時に、自分たちをもう一度見つめなおすのが目的だ。韓国は儒教の影響で、高学歴を重視する傾向が強いため、日本以上に受験戦争が厳しい。親や親戚からの期待も大きく、重圧に耐えかねて、学校を辞める生徒が徐々に増えつつある。韓国でも不登校や高校中退は社会問題になっている。学校に行かない子どもは不良と同じ扱いをうけ、全国におよそ6万人いるといわれている。原因は、いじめや校内暴力、パソコン中毒などさまざまだという。
 福岡のサポート校が訪問したのは、釜山唯一といわれる韓国版サポート校。13歳から20歳までの18人が学んでいて、自由な校風のもと、高卒資格をとるのは日本とほぼ同じだが、大きく違う点が2つ。1つは、先生の大半がボランティアであること。もう1つは、月の授業料がわずか500円で、足りない分は市民の寄付金でまかなわれているという点だ。日韓の生徒たちは初めての対面にもかかわらず、通訳を介して笑顔で会話を交わす。しかし、そのとき福岡から来た1人の男子生徒が行方不明になった。人の輪に入るのが苦手で、福岡でも同じように姿を消すことが多かったという。釜山の生徒や先生たちも、必死になって行方を捜すが、なかなか見つからない。捜索開始からおよそ5時間。彼は深夜になって宿泊先のホテルにひとりで戻ってきた。待機していた先生にこう打ちあけた。「釜山でも居場所がなかった」。
 翌朝、迷惑をかけたおわびに、再度、釜山のサポート校に行くことになった。しかし恥ずかしさもあって、彼はそれを拒んだ。なかば強引に連れて行こうとする先生たち。初めて会ったのに一生懸命捜してくれた釜山の生徒たちを見て、彼は一体何を感じたのか…。

<ディレクターとして>
 私はこれまで不登校や高校中退の子どもに対して、あまり良い印象はなく、どちらかといえば{社会に適合しない}、{甘え}といったマイナスのイメージしかなかった。取材を始めたきっかけは、新聞で頻繁に取りざたされていたこともあるが、会社内にも不登校・高校中退の子どもを持つ社員が増え、事態の深刻さを感じたことが大きかった。そのころ、サポート校という民間の教育機関の存在を知った。学校をやめた子供たちが集まる学校に行けば、何か原因のようなものが分かるのではないか。そう思い福岡県内最大のサポート校を訪ねた。できるだけたくさんの生徒と話そうと、毎日のようにサポート校に通った。そのうちに壁にぶつかった。
 「なぜこんな子が学校を辞めたんだろう」
 どの生徒も明るくて礼儀正しく、取材にも真剣に向き合ってくれた。原因を探しにいったのに全くその糸口すらつかめなくなってしまった。そしてある日から自分の認識を変えて、あらためて取材に挑んだ。
 「学校を辞めることは決して特別なことではない」
 当初の偏見は、もしかすると多くの人たちが持っているものかもしれない。増え続ける不登校。高校中退について、10年経っても目立った成果が表れないのは、国の対策だけが原因ではない。番組を通して、生徒たちのありのままの姿を見てもらい、不登校・高校中退の実態を視聴者が知り、身近で深刻な問題だという認識をもってほしい。子どもたちをとりまく社会の人たちが問題を真剣に考える第一歩になれば、という思いで番組を制作した。しかし、制作サイドもこれが第一歩であって、今後も長期的に取材にとりくみ、折を見て別の形で番組にしていく必要性を強く感じている。

<プロデューサー> 甲斐義憲(テレビ西日本)
<ディレクター> 小倉和久(テレビ西日本)
<ナレーター> 児玉育則
<撮影> 古城信義
入江真樹
古澤 健
田篭 淳
<編集> 渡辺幸太郎
利光英樹
<MA> 新甫宙
<タイトル> 亀澤幸一
<制作> テレビ西日本

2003年9月19日発行「パブペパNo.03-273」 フジテレビ広報部