2014.6.11
<6月18日(水)26時20分~27時15分>
東日本大震災から3年経っても、なかなか復興が進まない被災各地。その中の一つ、宮城県南三陸町の志津川高校3年・田畑祐梨さん(18)は、復興の遅々とした歩みに疑問を感じていた。震災発生当時は、地元・志津川中学校の卒業式を前日に控えた中学3年生。中学校は高台にあるため津波の難を逃れたものの、母が営む美容室兼自宅は流失。家族が無事だったことがせめてもの救いだったが、卒業式を迎えるはずだった学びやでの避難生活が始まり、その後仮設住宅での不自由な暮らしを余儀なくされる。そんな日々の中で祐梨さんが始めたのが、震災の経験やそこから学んだ教訓を人々に伝える“語り部”。同級生や後輩などとともに、高校生の語り部グループを立ち上げた。学校外での活動のため自分で企画書を書き、町の観光協会などにも活動を売りこんだ。
「お風呂にも何日も入れないし、ケータイもつながらない」。
「あの日、星はビー玉ぐらいの大きさに見えた…電気が全部消えてしまったから」。
語り部の間、祐梨さんはあえて原稿やメモは持たず、10代が身をもって感じた震災を等身大の言葉で伝える。彼女の語りはアドリブが基本。でもその中で必ず伝えるのが、英語塾の先生の話。同級生のお母さんで、学校での出来事などプライベートな相談もよくしていたという。
「震災の前夜、塾を出る際“今までありがとう”“先生、大好きだよ”と言わずに帰った」。
「あさっての卒業式で言えると思っていた」。
「でも先生は、津波で亡くなった」。
震災での様々な出来事を話す中で、祐梨さんは、大切な人に“ありがとう”と“大好き”をちゃんと伝えてほしいと訴える。人間は一瞬で亡くなってしまう…体感したからこそ言える、祐梨さんの言葉だ。語り部として活動をする中で、祐梨さんは、先生に教わった英語で震災を語れば、世界中に支援への感謝の気持ちも伝えられる、と考えるようになった。震災後の避難所生活で、世界中からの支援物資や、激励のメッセージを目にしたためだ。
そこから始まった、英語と向き合う日々…。祐梨さん自身は無意識なのかもしれないが、仮設商店街のフードコートで英語の勉強をする姿には、震災から3年が経ってもほとんど何も変わらない被災地の今が透けて見える。高校3年生の祐梨さん。震災前はお母さんの後を継ぐべく、美容専門学校に進む予定だった。しかし語り部の活動を通して、英語を学ぶために大学への進学を考えるようになる。
一方、仮設の美容室を営むお母さんは、大学進学には反対。店舗兼自宅の再建なども考えると、専門学校に通う2年間の学費や生活費は用意できても、4年となると話は別だという。どこにでもあるような進路の悩み…。しかし被災地では、進路が一家の生活再建とも密接に関わってくるだけに、親子のやり取りには生々しさがある。
祐梨さんは、進んで前に出るようなタイプではない。それでも自分で活動を立ち上げ、1年も経たないうちに約3000人に自分の辛い経験を話した。その姿を1年2カ月に渡って記録する中で、どこにでもいるような18歳の普通の女子高校生の成長の様子が見て取れるはずだ。
「被災地に、こんな女子高校生がいることを知ってほしいと思って、カメラを向け続けた1年2カ月。祐梨さん自身は、どこにでもいるような今どきの普通の女子高校生です。語り部を通して、いろいろなことにチャレンジしていく姿は、裏を返せば、町の復興が思うように進まないいら立ちのようにも思えました。そして祐梨さんが18歳だったからこそ、どこにでもあるような進路や親子関係の話に加えて、生活の再建という被災地特有の問題も見えてきました。“震災がなければ…”というのは、震災による大きな被害がなかった私自身、今でも思うことがあります。生活の糧を奪われた方であれば、その頻度がもっと多いことは容易に想像がつくでしょう。カメラの前で祐梨さんは、その思いがこらえきれずに、涙という形で感情が出てしまいました。でも泣くだけで終わらなかった南三陸の女子高校生のその後を見届けていただければ幸いです」
第23回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『祐梨、伝える
~南三陸・語り部女子高校生~』
(制作:仙台放送)
6月18日(水)26時20分~27時15分
2014年6月11日発行「パブペパNo.14-231」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。