2013.10.11
<10月30日(水)26時20分~27時15分>
鹿児島市で、小料理店を営む本田信作さん(46)は4つ年上の妻、奈穂美さん(50)と2人で仲良く店を切り盛りしている。店には一人息子の紘輝くんが描いた絵が所狭しと並べられている。どこにでもあるごく普通の家族。その家族に今から10年前、“悪魔”が押し寄せた。息子の紘輝くんが悪性の脳腫瘍に冒されたのだ。紘輝くんはシャイで自分の内面は絶対に見せない。そんな紘輝くんが唯一、本当の気持ちをぶつけるものがあった。それは“絵”。最初に描いた絵は【あくま】。削られた頭に目からは緑色の涙。それでも手にはピストルと剣を持って闘っていた。紘輝くんは全てを分かっていた。その後、紘輝くんは一時退院したものの、わずか10カ月後の2006年11月に再発。両親は決意を語る。「これから始まるゴールの見えない闘いから逃げ出さないように、見守って下さい」それはがんから逃げない、闘病宣言でもあった。
それからカメラは家族の全てを映し続ける。医師から告げられた余命宣告。衰弱していく息子。明日が見えなくなるほどの絶望の日もあったが、それでも死の恐怖と立ち向かいながら、“生きたい”と家族が支えあって生きる、希望の姿もあった。紘輝くんは思いを画用紙に描き続けた。強いものに憧れ、よくドラゴンを描いた。そして、つぶやいた。“人生って何だろう”
2007年12月28日。紘輝くんは30枚の絵を遺し、大好きなママの胸に抱かれて、闘いを終えた。絶望のどん底からはい上がろうとする夫婦をさらなる悲劇が襲う。ママの奈穂美さんが末期がんを宣告される。しかし、生きることをあきらめない。息子との日々を通して、ママは生きる意味をかみしめる。そして、動き出した。
紘輝くんのことを知った全国の人々の声に背中を押され絵画展を開く。そして、時間があれば各地の学校へ足を運び、今を生きていることの大切さを話す。反響は反響を呼び、2013年には紘輝くんの命の記録が教科書になった。父、信作さんは初めて心境を語る。「自殺しようと思っていた。でも死ななくてよかった。」どんなに絶望の日々があろうとも、その先にはきっと希望の未来がある。
紘輝くんが家族3人を描いた絵がある。【ママとぼくと信作と】。川をさかのぼった3匹のコイは登竜門というところを過ぎると、でっかくて強いドラゴンになる。命と向き合った家族の10年間、何気ない毎日の素晴らしさ、生きることの尊さを伝えている。
「出会いは桜が満開に咲く季節でした。4000点もの作品からグランプリに輝いた絵―どんな少年が描いたのか、訪ねてみると、そこにはママと2年ぶりの桜を楽しむ紘輝くんの姿がありました。着いて早々、担任の竹下先生は話しました。“覚悟はありますか” その時、初めて紘輝くんが“170万人の1人の小児がん”と聞かされました。これが取材の始まりです。
その後、再発の時、ママの奈穂美さんから“私たちが逃げ出さないように一緒に闘ってください”と言われました。2006年から始まった取材。たくさんの覚悟がありました。たくさんの絶望がありました。涙もたくさん流しました。それでも取材を続けたのは僕らの向けているカメラがこの親子に希望の光を灯してほしい、そう願ったからです。そして、その親子に僕らは教えられました。“どんなに絶望の淵に立たされても、きっとその先に希望の光がある”
今年も紘輝くんと出会った病院近くの川沿いには満開の桜が咲きました。その桜は可憐につつましく、その一瞬を精一杯、咲いていました。人生は苦しいことや悲しいことの連続です。それでも“強く強く精一杯、未来を生きてほしい!!” ママと紘輝くんとパパの3人の強い思いが込められた物語、ぜひ、その心で受け止めてほしいと思います」
第22回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『ママとぼくと信作と
~命と向き合った家族の10年~』
(制作:鹿児島テレビ)
10月30日(水)26時20分~27時15分
2013年10月11日発行「パブペパNo.13-418」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。