2012.5.16

第21回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
生まれ来る子ども達のために
(制作:福島テレビ)

福島第一原発から23キロ。福島県南相馬市にある原町中央産婦人科医院の高橋亨平医師は震災直後から診察を続けてきた。目に見えない放射能の恐怖によって住民をはじめ多くの妊婦が避難する中、安全・安心のために高橋医師は被ばく管理や除染活動を自らが先頭に立って進めている。そんな高橋医師は震災から2カ月後にがんを告知された。余命宣告を受けながら放射能と闘う彼の1年を追った。

<5月30日(水)26時20分~27時15分>


「これ以外に道はあるのか…」。震災と原発事故直後から診察を続ける産婦人科医、高橋亨平医師(73)は「なぜ診察を続けるのか」と質問する取材者にそう答えた。

 福島県南相馬市の原町中央産婦人科医院は福島第一原発から直線距離で23キロの位置にある。原発事故直後、政府から「屋内退避」を指示されたエリアだ。高橋医師は風邪をひいたり足腰の痛みを訴える高齢者まで分け隔てなく患者を受け入れていた。高橋医師は震災以降、毎日100人を超える患者を診察していた。一方で専門である妊婦を診察する機会は激減していた。

 見えない放射能の恐怖によって人口7万人の南相馬市からは多くの住民が避難を余儀なくされた。そもそも医療過疎が進んでいた地域では医療崩壊が現実のものとなっていた。妊婦は住み慣れた南相馬市を離れて行かざるを得なかった。

「子どもが生まれない町に未来はない」と話す高橋医師は国や行政からの支援が得られない中、南相馬市で暮らす妊婦の被ばく量の管理を始めた。そして「南相馬除染研究所」を設立して地域の放射性物質を取り除く除染活動を先頭になって進めていた。そんな高橋医師の活動には共感する仲間が増え支援の輪は大きくなっていった。
 高橋医師が、がんを告知されたのは震災から2カ月後のことだ。直腸で見つかったがんはすでに肺と肝臓にも転移していて余命半年の宣告を受けた。それでも患者の診察と除染活動を続ける高橋医師は決して弱音を吐くことはなかった。
 震災から1年。原町中央産婦人科医院で生まれた赤ちゃんは42人。前の年に比べて10分の1にも満たない数だ。それでも高橋医師は生まれたばかりの子どもを見つめて「この子どもたちこそが福島県の未来であり、希望だ」と語った。

 放射能とがんに立ち向かう1人の産婦人科医の震災と原発事故から1年を追ったドキュメンタリー。

坂井有生ディレクター コメント

「インフラが復旧して住民の帰還できる環境が整うことが本当の復興なのか。原発事故後の取材で日々考えさせられました。南相馬市は放射能の影響で、住めない地域や、立ち入りすら許されない地域など4つに分断されました。避難できず取り残された住民も多くいる中で、唯一、診察を続けた産婦人科医と出会い感銘を受けました。詳細な放射線量が不明な時期から住民のために孤軍奮闘を続けていたのです。その医師は高橋亨平医師。これまでに自治体人口の5分の一に当たる1万5千人を取り上げたベテラン医師です。末期のがんに侵されているにも関わらず、彼は医療のみならず子供や妊産婦のために除染にも立ち上がりました。その理由を問うと“子供が誕生しない場所には未来は無い”と言います。国会や政治家が一言でまとめてしまう“復旧・復興”。本当の復興とは何なのか、高橋医師の活動を通じ、そのことを考える一つのきっかけになれば幸いです」


<番組概要>

◆番組タイトル

第21回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『生まれ来る子ども達のために』
(制作:福島テレビ)

◆放送日時

5月30日(水)26時20分~27時15分

◆スタッフ

ナレーター
神尾 佑(福島県出身俳優)
ディレクター
坂井有生(福島テレビ)
撮影
渡邉 哲(福島映像企画)
小田切未来(福島テレビ)
編集
石母田慎也(福島映像企画)
プロデューサー・構成
菊地昭洋(福島テレビ)

2012年5月16日発行「パブペパNo.12-161」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。