2011.8.29

第20回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
父へ 父として
(制作:福島テレビ

福島県浪江町の本田進一さんは家族6人で避難生活をおくっている。原発作業員の本田さんは家族を守るために過酷な復旧作業現場に向かう。須賀川市の農家・樽川和也さんは「もう福島で農業はできない」と自殺した父の死を受け入れることができないでいた。しかし、震災から3カ月後、父が遺した土地で農業を続けることを決めた。震災後、福島県に永住を決めた東北大学の富田昇研究員。自分が父親になった時の福島を思いながら、そして大切なものを守るために前へ進む。

<2011年8月30日(火)26時45分~27時40分>


 あの日、福島県はたくさんのものを失ってしまった。家や学校、ふるさと、そして大切な人までも…
 福島第一原発から20km圏内が警戒区域に指定され、7万8000人もの人がわが家に近づくことさえできなくなった。その中には「原発」で生活していた人も多い。

 原発から10km圏内にある浪江町から家族6人で避難した本田進一さんもその1人だ。避難所から避難所へ転々とする生活が続く中でも本田さんは原発の復旧作業に向かっている。連日、報道される原発内での過酷な作業の実態に家族の不安は募っている。しかし、決して弱音を吐かない本田さんの姿には畏敬の念を抱かざるを得ない。

 「福島で農業を続けることはできない」と絶望し、震災から13日後に自殺した須賀川市の樽川久志さん(享年64)。父を尊敬し、脱サラして農業を始めた長男・和也さんは父の死という現実を受け止めることができないでいた。しかし、震災から3カ月後、放置していた畑に線香をたむけて農作業を再開した和也さんは「父が遺した土地で生きてゆく」ことを決めた。

 原発から約80km離れた天栄村で「過疎地域の活性化」を研究していた埼玉県出身の東北大学の富田昇研究員は震災後、福島県への永住を決めた。その理由は都会が失ってしまった田舎の良さ、そして福島の復興に寄せる思いだけではない。そこで大切なものを見つけたからだ。

 福島で暮らす人たちは10年後、20年後はおろか1年先、いや1カ月先さえ見通すことができないでいる。父へ伝えたいメッセージ、そして父として伝えなければならないメッセージを通して決して変わることのない大切なものは何かを考える。

菊地昭洋プロデューサーコメント

「子どものころ、遊んだ海辺の町は消え、家族で食事をした店は無残にも崩れ落ちていた。あの日、目の前に広がっていたのは信じられない光景、信じたくない現実だった。
 人通りが消えた繁華街、棚が空っぽのコンビニ、ガソリンスタンドには県外へ避難しようとする車が行列をなした。
 “福島はもうダメかもしれない…”
 そんな思いが頭をよぎったのは1度や2度ではなかった。
 あの日から6カ月がすぎようとしている。町中の至る所に掲げられている“がんばろう福島”“福島は負けない”と記された看板やのぼりを見て考えたことがある。“がんばることができるのは大切なものがあるからなのだ。むしろ支えられているのだ”と。福島で生まれ育ったものとして、2人の娘を持つ親父として強く思う。」


<番組概要>

◆番組タイトル

第20回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『父へ 父として』
(制作:福島テレビ)

◆放送日時

2011年8月30日(火)26時45分~27時40分

◆スタッフ

ナレーション
神尾 佑(福島県出身俳優)
取材
村上洋平
丹野明日香
延増 惇(福島テレビ)
撮影
貝沼大輔
箭内憲司ほか(映像企画)
編集
長瀬勝喜(福島テレビ)
MA
新國伸太郎(映像企画)
プロデューサー・構成
菊地昭洋(福島テレビ)

2011年8月26日発行「パブペパNo.11-205」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。