2011.7.28
<2011年8月3日(水)26時10分~27時5分>
広島市東区。荒神陸橋の下には15坪ほどの小さなボクシングジム「広島三栄ボクシングジム」がある。ジムの会長は、新谷彪。43年前、広島にジムを構えボクシングを教えてきた。自らを「ボクシング馬鹿」と呼ぶ新谷は、スキンヘッドのこわもてだが、選手に対する愛情は深い。
2008年12月、この小さなジムから「日本チャンピオン・中広大悟」が誕生した。広島のジムからは実に30年ぶりとなる快挙だった。
大学時代、「目立ちたい」という理由でボクシングを始めた中広は、その才能を見せ、無敗のまま白星を重ねるが、なかなか日本タイトルへの挑戦はかなわなかった。
「練習相手がいない」「試合が組めない」という地方のジムのハンデ。しかし、中広はこのジムにこだわった。「チャンスが多い東京へ出る人はいくらでもいる。みんなが“地方では無理”というからこそ、オレがやってやる!」そして、中広が広島にこだわるもう一つの理由が、会長・新谷の存在だ。
「会長の教えてくれるボクシングが日本一だということを証明したい」
そして、ついに念願のベルトを手にした中広は今までの“追う立場”から“追われる立場”となった。その後、3度王座を防衛したが、試合内容は精彩を欠いた。現役続行か、引退か…29歳、ボクサーとして決して若くない年齢になった中広は、決断を迫られる。
2011年、中広に「東洋太平洋タイトルマッチ」という思わぬチャンスが舞い込む。試合まで1カ月を切り、相手は元世界チャンピオンという不利な状況の中、二人の新たなる挑戦が始まる。
全国に300近くあるボクシングジム。その7割は、関東・関西にある。当然、チャンピオンは、関東・関西のジムに集中している。
「なんで広島にこんな強いボクサーがおるんじゃ?」これがプロボクサー・中広大悟を追いかけるきっかけだった。話をしてみると面白い。ボクシングを始めた理由を尋ねると「目立ちたいから」と答える中広選手。「ストイック」とか「ハングリー」という言葉が思い浮かびがちな、いわゆるボクサーと全くかけ離れた彼の魅力に引き込まれる。一方で、目立ちたいという理由だけでチャンピオンになれるものなのだろうか? という疑問もわいてくる。人を殴るスポーツ、ボクシングでチャンピオンになるためには、何か特別なモチベーションが必要なのではないか、と勝手に想像していたからだ。
ジムへ通いはじめると、そこが特別な場所だと気づく。それは、ジムの会長・新谷彪の存在が大きい。ジムを始めて43年。スキンヘッドの見た目とは裏腹にとても優しい会長だ。ジムへ通う全てのボクサーが会長を尊敬している。70歳とはとても思えないシャープな動き。50歳ころまでは選手とスパーリングもしていたという。きっと現役時代は強かったに違いない。
若き日の会長の話を聞くと、広島のジムに所属していた現役時代は、なかなか試合ができなかったという。結局ジムはつぶれ、引退を余儀なくされた会長は、かつて自分が実現できなかったボクシングへの思いを選手に託したのだ。
中広選手は白星を積み重ねていくが、なかなかチャンピオンの座をつかむことはできない。地方のジムは練習相手も少ない。「東京のジムへ移籍したら、もっとチャンスがあるんじゃないか?」と尋ねると、「広島のジムからどうしてもチャンピオンになりたい」と言う。何度も取材を重ねるうちに中広選手がこぼした本音…それが、このジムにこだわる理由だった。
中広選手が手にした栄光。そして、挫折…。
ボクシングは孤独なスポーツだ。しかし、決して一人で戦うスポーツじゃない。このジムから見えてくる人々の姿を追った。
「かつて私はプロボクサーでした。4回戦ボーイで終わりましたが、チャンピオンを目指し、ジムに通っていた日々は大切な思い出の一つです。現役時代、三栄ジムに通っていたら…。新谷会長に指導を受けていたら…。想像は膨らみますが、取材を通して会長にはいろいろ教わったような気がします。あのジムにはボクシングが強くなるだけではない"何か"があります。ボクシングに興味がない人も楽しめる番組です」
第20回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『獲っちゃる ~広島三栄ジムの挑戦~』
(制作:テレビ新広島)
2011年8月3日(水)26時10分~27時5分
2011年7月28日発行「パブペパNo.11-173」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。