2010.8.9

第19回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
最初の特攻、最後の特攻~高知・65年目の真実~
(制作:高知さんさんテレビ

最初の特攻も、最後の特攻も高知の若者だった
戦後65年目に問う、神風特攻の真実
そして思う、群青色溶けあう空と海のはてに散った若者たちのことを…

<2010年9月2日(木)26時55分~27時50分放送>


 太平洋戦争で日本軍が踏み切った非道の戦法「神風特攻」。フィリピンの攻防を巡る「最初の特攻」と終戦の日の「最後の特攻」で亡くなった若者が、ともに高知県出身者であったという事実を、日米双方の戦闘記録から裏付ける。最初の特攻には同郷で旧中村中学の同級生同士が出撃した。最後の特攻は、終戦を告げる玉音放送が終わった後に行われた。第19回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品『最初の特攻、最後の特攻~高知・65年目の真実~』(制作:高知さんさんテレビ)では戦争と平和のはざまに散っていった航空兵に思いをはせる。

 今年は太平洋戦争が終わって65年の節目に当たる。戦後世代は人口の8割近くを占め、平成生まれの成人が社会進出するご時世となった。あの戦争の体験を直接語り得る世代は激減し、ますますその「風化」がいわれる。いま記録に残しておかないと永久に機会を失ってしまう”神風特攻”の真実に迫った。戦争とその時代の事実を発掘し、とらえ直し、伝えていく作業はジャーナリズムの使命である。いまの「平和」とその成り立ち、将来の在り方を考えていく上でも重要なテーマであろう。
 私たちはこうした問題意識から、ローカルに視座を置きつつ、あの戦争で日本軍が敗戦の日まで、10カ月にわたって続けた「神風特攻」に焦点を当てた。
 その結果、5800人に上る特攻死の中で、昭和19年10月、フィリピンの攻防を巡って行われた「最初の特攻」と、20年8月15日、日本が敗北した日の「最後の特攻」が、いずれも高知の若者であったという事実が取材できた。とりもなおさずそれは、世上、伝えられる特攻の通説、俗説のたぐいに変更を求めることになり、サブタイトルを「65年目の真実」とした。

○最初の特攻

 爆弾を抱いたまま敵艦に体当たりする生還不可能な攻撃・特攻は、劣勢を挽回するため、日本軍が採用に踏み切った非道の戦法であった。兵にとっては、建前は志願だが、実際は逃れることの出来ない「強制された死」を意味した。
 史上初の航空機による体当たり攻撃は、米軍のレイテ島上陸を阻止すべく企図され、「第一神風特別攻撃隊」として布告されている。名前と階級、戦果が記録されている航空兵は42人を数え、その中に、高知県出身の若者が3人含まれている。
 そのうちの2人、菊水隊の宮川正・一等飛行兵曹と初櫻隊の野並哲・一等飛行兵曹は、旧幡多郡大方町(現黒潮町)の同郷出身で、旧制中村中学でも机を並べ、ともに予科練に合格した親友であった。
 特に、米軍戦闘詳報や中立的立場で書かれた外国のドキュメントを照合してみると、命令による組織的戦闘行動として戦果をあげた「最初の特攻」は、戦史の通説とは異なった。すなわち、当時の日本海軍が演出的効果も狙って華々しく宣伝し、今日でも特攻の常識となっている海軍兵学校出のエリート関行男大尉の率いた敷島隊ではなく、護衛空母「サンティー」などに突入した宮川一飛曹ら菊水隊であることを確信する。
 番組は、同郷の同級生が決戦の地・フィリピンで「零式艦上戦闘機」のパイロットとして再会し、ともに南溟の海と空のはざまで散っていった様子を中心に、最初の特攻で亡くなった3人の高知出身者の遺族や友人を訪ね、提供を受けた写真などを基に構成した。

○最後の特攻

 昭和20年8月15日正午、ポツダム宣言受諾を告げる玉音放送が流れ、3年8カ月に及んだ太平洋戦争が終結した。日本軍は戦争最後の日も特攻をやめなかった。
 木更津と百里原の海軍基地から9機の特攻機が出撃、房総半島沖の米機動部隊に800キロの爆弾を抱えて体当たり攻撃を試み、全機撃墜された。この「最後の日の特攻」を命令された18人の航空兵の中にも高知県出身者が2人いた。
 日本軍の資料では、「最後の特攻」として記録されているのが木更津基地から出撃した高知県越知町出身の中内理・一等飛行兵曹らの艦上攻撃機「流星改」である。
 さらに、米軍戦闘詳報等を精査してみると、午後1時30分、空母「ヨークタウン」の防空戦闘機群によって最後に撃墜された特攻機は、百里原基地から飛び立った弘光正治・一等飛行兵曹(旧高知県天坪村出身)が操縦する「彗星」艦爆8番機であった。
 すなわち、米側記録によると、日本軍「最後の特攻」は弘光機となる。しかも、天皇陛下の玉音放送は既に終わり、戦争終結が告げられた後だった。
 「終戦の日、事故で亡くなったと聞いている」という遺族の話などを紹介しつつ構成したが、戦争のない日々がすぐそこまで来ていたというのに、高知の若者が2人、「戦争と平和」のはざまのファジーな時間と空間の中で、一つしかない命を失わざるを得なかった不条理を思う。

鍋島康夫ディレクターコメント

 このドキュメンタリーは平成17年、戦後60年目に制作した練習機「白菊」による沖縄特攻を扱った「闇き南溟の彼方へ」の姉妹作とでも言うべき作品です。
 取材過程で重たいテーマをいただきました。「最初の特攻」で亡くなった宮川さんの実兄へのインタビューの時でした。あらかたのお話しをうかがった後、カメラを回そうとしたら、「おんしゃらぁ(君たちは)何で特攻ばかり取り上げるんじゃ。異国の地で野垂れ死にした一兵卒も、特攻死も、空襲で逃げ惑った揚げ句死んだ国民も、皆が戦争の犠牲者とちがうんか。カメラは断る」。中国戦線で歩兵として死線をくぐり抜けてきた特攻隊の兄の言葉に、思わず録画ボタンから指を外しました。
 65年の歳月は、あの戦争を歴史書の中に閉じ込めようとしています。直接話法で語り得る体験者が激減しているのです。取り組むべき主題は沢山あるはずなのに、残された時間は少ない…焦りを覚えつつ取材と編集を進めました。


<番組概要>

◆番組タイトル

第19回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『最初の特攻、最後の特攻~高知・65年目の真実~』
(制作:高知さんさんテレビ)

◆放送日時

2010年9月2日(木)26時55分~27時50分放送

◆スタッフ

語り
野村 舞
朗読
橋口浩二
岡田敏久
尾崎晃一
映像処理
服部淳一
池知和香
撮影
川田卓史
中澤政明
取材編集
明神康喜
企画構成
鍋島康夫(ディレクター)
制作統括
林 寛(プロデューサー)

2010年8月6日発行「パブペパNo.10-150」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。