2009.10.5

第18回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
走れ!MAYA
   〜義足のアスリート・22歳からの挑戦〜

(制作:テレビ大分

「2008年北京パラリンピック」
日本人女性として初めて陸上短距離のファイナリストとなった中西麻耶さん(24歳)。
21歳のとき職場の事故で右下肢切断という不運に見舞われながら、
持ち前の明るさと人一倍の粘り強さ、そして周囲の人たちの温かい支えで、
陸上競技を始めてからわずか1年数カ月で世界で競うアスリートになった。
人間の持つ可能性のすばらしさを2年間の取材を通して紹介する。

<2009年10月8日(木)深夜2時55分〜3時50分放送>


 2009年10月8日(木)深夜2時55分〜3時50分放送の、第18回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『走れ!MAYA 〜義足のアスリート・22歳からの挑戦〜』(制作:テレビ大分)は、事故で右下肢切断という不運に見舞われながらも、持ち前の明るさと人一倍の粘り強さ、そして周囲の人たちの温かい支えによって、陸上競技を始めてわずか1年数カ月で「2008年北京パラリンピック」の日本人女性初の陸上短距離ファイナリストとなった中西麻耶さん(24歳)の姿を通し、人間の持つ可能性のすばらしさを紹介する。

 「2008年北京パラリンピック」。日本人女性として初めて陸上短距離のファイナリストとなったのが中西麻耶さん。大分県由布市出身の24歳(パラリンピック時は23歳)。21歳のとき職場の事故で右足下肢切断という不運に見舞われながら、持ち前の明るさと人一倍の粘り強さ、そして周囲の人達の暖かい支えで、陸上競技を始めてからわずか1年数カ月で世界で競うアスリートになったMAYAの2年間を追った。
 中学のころからソフトテニスを始めた麻耶さんはインターハイに出場し、2008年に地元大分県で開かれる国体強化選手となり夢と希望にあふれた選手生活を送っていたが、仕事先で鉄骨の下敷きとなり、右下肢切断を余儀なくされた。そのとき家族がとっさに思ったのは、どうしたら社会復帰させられるのかということだった。当然、国体への出場も不可能となったが、彼女の気持ちが切れることはなかった。義足でもソフトテニスをしたい、その一念で厳しいリハビリを耐え、半年で義足歩行が可能となった。周囲からは車いすのテニスを勧められたが、あくまで自分の足でできるスポーツを目指していた彼女が出合ったのが陸上のスプリント競技だった。
 板バネと呼ばれるカーボン製の義足を履くことで、健常者にも負けないスピードで走ることができ、パラリンピックという世界の頂点で勝負ができる。スポーツマンにとっての夢の舞台が用意されていることに気付かされたのだ。そう彼女に教えてくれたのは国内義足スプリントの第一人者の山本篤選手、彼女に最適の「足」を作ってくれたのが義肢装具士の臼井二美男さん、そして新しい夢に導いてくれたのが自分も義足のスポーツマン小野洋一さんだった。
 もともとソフトテニスで鍛えたバネと体力、スポーツセンスもあって、陸上の練習を始めてからわずか2カ月後の大会で日本新、その後も次々に記録を塗り替え、瞬く間に200メートルで世界4位のタイムを樹立してパラリンピックの日本代表に選ばれた。そして2008年9月の「北京パラリンピック」。足を切断してちょうど2年のこの日、彼女は日本代表として「鳥の巣」のレーン上にいた。夢の舞台に立つことができたのだ。両種目とも自己新(日本新)、100mでは13秒台の走りを見せたものの結果は100mが6位、200mは4位で惜しくもメダルに届かなかった。
 パラリンピックの翌月、もう一つ、彼女なりの「けじめ」が残っていた。地元大分で開かれた全国障害者スポーツ大会への出場だ。国体優勝を夢見てソフトテニスに打ち込んだ青春時代の夢はかなわなかったが、日本代表の障害者アスリートとして国体とおなじ九石ドームの競技場に立ち、短距離と走り幅跳びで優勝したことで、ふるさとへの約束を果たし、気持ちの上でも新たなスタートを切ることができたのだ。
 なぜそんな切り替えができるのか、短期間で陸上アスリートとなれたのか。彼女はこう考えている。障害者スポーツはリハビリの一環程度とよく言われるが、決してそうではない。自分の目標は健常者の選手と同じフィールドで互角に渡り合うことだと。
 こうして2009年春「自らのスポーツに挑む」ために、厳しさに身を置くために、彼女は単身アメリカに旅立った。「ロンドンパラリンピック」で金メダルを獲得するために。

高瀬建二朗ディレクターコメント

 中西麻耶という女性の存在を知ったのは10数年続けている大分車いすマラソン大会の取材過程ででした、2年前のことです。「由布市に陸上でがんばっている義足の女の子がいるよ。」軽い気持ちで会いにいった彼女は、なんのてらいもない、明るく、いつも前を見て、ある意味私たちが考えもしない意外な行動力を持つ女性でした。そんな彼女が瞬く間に世界で有数の義足のアスリートになっていきました。「成長した」という感じではありません、いつも変わらない彼女なのです。それでいて、会うたびに、取材するたびに新しい発見がありました。彼女を良く知る人は「とにかく素直で負けず嫌い。それでいてとてもナイーブな子」と教えてくれました。その彼女の「思い」を育てたのは「お母さん」だそうです。母親の期待に答えよう、母親の気持ちを裏切ってはいけない。「子どもの意思を大切にし、思うとおりに行動させる」という中西家の子育てに素直に応じて頑張ってきたのが中西麻耶さんで、今、また家族とともにロンドンを目指します。


<番組概要>

◆番組タイトル

第18回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『走れ!MAYA 〜義足のアスリート・22歳からの挑戦〜』
(制作:テレビ大分)

◆放送日時

2009年10月8日(木)深夜2時55分〜3時50分

◆スタッフ

ナレーター
小笠原正典
佐藤晶代(テレビ大分)
構成
森 久実子(フリー)
撮影編集
高瀬建二朗(TOSエンタープライズ)
MA
渡辺政裕(TOSエンタープライズ)
ディレクター
岩尾保次(テレビ大分)
高瀬建二朗(TOSエンタープライズ)
プロデューサー
岸田吉正(テレビ大分)

2009年10月2日発行「パブペパNo.09-244」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。