2008.5.22

第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『なじょすっぺ先生
 〜医師 富永忠弘 80歳〜』 (制作:仙台放送)

高齢化と過疎化が進む小さな浜で、日々往診に励む老医師の姿と村人たちの笑顔をつづるドキュメンタリー

<2008年5月25日(日)深夜2時20分〜3時15分>


 第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『なじょすっぺ先生〜医師 富永忠弘 80歳〜』(制作:仙台放送)は、東北大学教授で大病院の院長も歴任ししていたが、12年前に宮城県石巻市の小さな浜の診療所にやってきた高血圧治療の名医・富永忠弘の姿を追う。村人たちは富永のことを「なじょすっぺ先生」と呼ぶ。土地の言葉で「どうしたらいいかな、先生」という意味だ。高齢化と過疎化が進み、さらに地方の医師不足が叫ばれる時代、80歳の今も坂道ばかりの漁村の路地をゆっくり巡り、日々往診に励む老医師。番組ではその姿と村人たちの笑顔をつづり、いのちとくらしをつなぐひとりの男の覚悟を描いていく。


(番組内容)

 宮城県石巻市寄磯浜(旧牡鹿町)は女川原発のある牡鹿半島の入り組んだ入り江に点在する人口400人ほどの小さな漁村。この浜に富永医師がやってきたのは1995年、68歳のときだ。以来12年、診療所長として単身で住み、急な山肌に張り付く家々を往診を続けながら村人の健康と暮らしを守ってきた。富永医師が力を入れてきたのは村人たちへの健康教育と万が一のときの病院との連携である。村人のデータをパソコンに入力、オンラインで病院とのやり取りができるよう病診連携のシステムを構築。へき地医療の問題解決に取り組んできた。その一方で薬に頼らない医療を進め、暮らしの中にひそむ病気の危険性について土地の方言を使った読み物を作り、啓蒙活動を続けてきた。そうした村人の暮らしに溶け込む医療の実践によって、富永医師は村人たちから「なじょすっぺ先生」と呼ばれるようになる。「どうしたらいいかな、先生」という意味の土地の言葉だ。
 医師・富永忠弘は石巻生まれ。父も内科の開業医だった。東北大学医学部に学び、高血圧の専門医として、大学病院で診療に当たり、保健学科の教授になる。そして1978年、全国に先駆けて病診連携を進めた仙台オープン病院の立ち上げに参加、病院長として、とくに24時間365日の救急センター開設に力を注いだ。こんな経歴を持つ医師が定年退職を機に選んだ道が小さな浜の診療所での診療活動だった。村人たちも驚いた。「えらい先生がやってくる」「どうしてこんなへき地に?」「なんかあるんじゃないか」。つまり疑心暗鬼だった。大病院の偉いお医者さんがなんでやってくるのか、合点がいかなかった。
 富永医師の周りも驚いていた。「なんで院長先生、そんなところに?」家族も反対だった。68歳で一人暮らし。しかし富永医師の腹は決まっていた。「ようやくほんとうに目指していた医者に近づける」。若い頃、彼が抱いた医師の理想、それは人と向き合う医療の実践だった。医学の進歩の中で専門医の道を歩いてきたこれまで。寄磯へ赴任直前、富永医師は体調を崩した。膀胱がんが見つかった。手術、抗がん剤治療、富永医師はあきらめなかった。そして復活、予定より半年遅れたが、彼は小さな浜にやってきた。それは自分を育ててくれたふるさとの海への恩返しでもあったという。えらい先生は浜に来て、いかに専門バカになっていたかを思い知る。診療所にやってくるお年寄りたちの訴えは、「腰が痛い」「疲れやすい」「熱がある」など。ありふれた病気だった。そのありふれた病気を診ることができない専門医の自分がいた。富永医師は70歳を目前に初心に帰って勉強を始めた。整形外科、感染症…。その一方で老いとの格闘も続いた。急な坂道ばかりの路地を巡るには足腰が丈夫でなければつとまらない。股関節や膝の関節を人工関節にする手術も受け、往診を続けているのだ。執念である。
 まもなく80歳を迎えるいま、富永医師は二度目の人工関節の手術を受けた。往診を続けるためだ。5月から再び、小さな浜に住み、診療活動を再開する。「老老介護」ならぬ「老老診療」だね、と笑う。そんな富永医師の新たな励み、毎年夏にやってくる新人医師たちである。2004年から新人医師の臨床研修制度が大きく変わり、地域医療を研修すことが義務付けられた。若い医師たちのまだ医師の世界に毒されていないまっすぐな眼差しに触れると昔の自分を思い出すという。「ひとのために役に立ちたい」それは昔も今も変わらない医師になる動機の根幹のはずだ。若い医師が問う。「どうして富永先生はこんなに頑張るんですか?」「そうだね…君たちのようだった昔の自分を取りかえすためなのかな…」とボソリと答える。80歳の医師・富永忠弘はふたたび、急な坂道を看護師さんと一緒に登り、村人の家々を巡り、こんなやりとりを交わすのだ。
 「元気かい!」 「先生も元気でがすか」 「ぼちぼち…」 「ちょっと咳があるんけど、なじょすっぺ先生」
 医師になって56年の男は言う。「ちょっと診せてみい」 息をすこし弾ませながら。ほほえみながら。富永医師は2007年12月17日、満80歳を迎えた。

<企画・取材・撮影・構成・編集・プロデュース・岩田弘史のコメント>

 富永さんは「老」や「死」が次の者に生きる意味を指し示す最も大切な教えであると考えていた。 このことを伝えるには、時間をかけるしかないと覚悟した。撮影とは時間を切り取ること。切り取った膨大な時間を丁寧に編みこみ、言葉ではすくえない「生と死」のつながりを伝えたいと取材してきた。それ故、この番組は医療問題や高齢化問題といったいわゆる「問題」を扱ったものではない。小さな漁村の老いとその老いに寄り添う老医の存在を丹念に見つめた記録である。番組の最後に私はこんな言葉を置いた。
「なじょすっぺ? と聞かれれば、大丈夫だと先生は笑う…」
 これしかなかった。


<番組概要>

◆番組タイトル

第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『なじょすっぺ先生〜医師 富永忠弘 80歳〜』
(制作:仙台放送)

◆放送日時

2008年5月25日(日)深夜2時20分〜3時15分放送

◆スタッフ

企画・取材・撮影・構成・編集・プロデュース
岩田弘史
撮影
渡辺勝見
制作補助
山崎耕平
整音
小峰義央
音響効果
佐々木 学

2008年5月22日発行「パブペパNo.08-137」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。