FNSドキュメンタリー大賞
第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品

『魂魄(こんぱく)の道を生きる〜タイ北部遺骨収集の前途〜』

(サガテレビ)

<11月9日(木)深夜3時10分〜4時05分放送>

 2006年11月9日(木)深夜3時10分〜4時05分放送の第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『魂魄(こんぱく)の道を生きる〜タイ北部遺骨収集の前途〜』(制作:サガテレビ)は、タイ北部ミャンマー国境地帯に放置された日本兵の遺骨の発掘を行いながら、現地の貧しい子どもたちを救うため里親制度をつくり支援を行っている僧侶と、現地でその意思を継いで活動する、戦後生まれの日本人青年の姿を通して、戦後日本がやり残してきたことを浮き彫りにする。

<企画概要>

 多くの日本人観光客が訪れる南国タイ。そのタイの北部地域には、今も多くの日本兵の遺骨が眠っている。しかし、そのことを知っている日本人はほとんどいない。
 佐賀県の僧侶・調寛雅さん(85)がタイの老僧に諭され、遺骨の発掘を始めたのは18年前のことだった。タイ北部には独自の言語をもった山岳民族が暮らしているが、その生活は貧しく、子供に教育を施すことができない。調さんは、日本兵がお世話になった山岳民族のために里親制度を作りその子供たちを支援してきたが、時がたち日本兵と交流のあったお年寄りも数少なくなった今、埋められた場所の特定が難しくなっている。残された日本兵の遺骨は日本に帰ることはあるのだろうか。
 番組では、遺骨収集と山岳民族との交流を通して、調さんが後世に残そうとした願いとは何かを描く。

<番組内容>

 佐賀県基山町の僧侶、調寛雅さん(85)がタイ北部のチェンマイを訪れたのは、1989年のことだった。敬虔な仏教の国、タイ。ムーンサーン寺の老僧カナービバーンさんが調さんに「お前は日本人か」と言葉をかけてきた。カナービバーンさんは「タイ北部にはまだ多くの日本兵が埋められたままになっている。日本人の観光客はたくさん訪れるが、誰一人としてこれを顧みない。人間としてどうか」と厳しく叱責したのだった。調さんは学徒出陣で出兵し、多くの戦友や部下をなくす経験をしていただけに、老僧の言葉に強く胸を打たれた。それから調さんは毎年、タイ北部ミャンマー国境地帯に出かけ、遺骨の発掘を行うようになった。
 タイ北部ミャンマー国境地帯は独自の言語と文化をもつ山岳民族が暮らしている。日本兵はミャンマー(旧ビルマ)方面での戦闘に敗れ、タイへと逃れたのだった。調さんは日本兵と交流のあった老人の案内で、埋められている場所を特定し発掘を進めた。そして調さんは土地の人々と交流するうちに、山岳民族の子供たちの悲しい現実を知るようになった。彼らは家族の生活を助けるために人身売買同然で劣悪な仕事に身を投じていて、教育を受ける機会などないのだ…。調さんは、子供たちを支援する里親制度をつくり支援を始め、そしてその支援の集大成として、子供に寮生活をさせながら学べる人材育成センター「慧燈(えとう)学園」の建設を決意した。実は調さんは終戦後、実家である佐賀県の寺に戻り「洗心寮」という施設を建て、親を戦争でなくした子供たちを引き取り、闇市で仕入れた米で子供たちを食べさせてきた経験があったのだった。最初は7人が入学して学園はスタート、そしてそこに長崎出身の若い日本人男性が、日本語教師も兼ねて寮長として採用された。それが小西誠さん(33)である。小西さんは長崎で11年間とび職をしていたが、墜落事故で身体が不自由となってしまい、その後オーストラリアで日本語教師の資格をとった人。ホームページで調さんの活動を知った小西さんは学園の職員として応募したのだった。しかしその一方で、調さんの運営方針が学園長をお願いしたチェンマイ大学の元講師アコム・タイリンさんに受け入れられず、事態は資金がらみの係争事件へと発展していくことになった。
 この失意の中の調さんを救ったのは、小西さんが山岳民族の娘ダオルアンさんと結婚し、タイで暮らすことを決めたことだった。このダオルアンさんは調さんの支援で、日本へ留学したことのある人だったのだ。
 調さんは今年3月、自ら今回を最後の遺骨収集と定め、タイ北部へと旅立った。しかし、85歳になった調さんにはもう山岳部に入る力は残っておらず、その調さんの意を受け、小西さんは山岳民族の山へと入っていく。遺骨収集は土地の老人の記憶を頼りに、その当時敗走した日本軍がキャンプを張っていたとされる場所を掘ってゆく作業。そしてそこから掘り出された遺骨はかけらになり木の根に巻き込まれている状態だった。ここにも61年の歳月があったのだった…。

<ディレクター・武藤信也コメント>

 私は昭和32年、1957年生まれです。戦争体験はありません。それでも、田舎育ちで祖母と同居していたことから、祖母は戦死した長男の話をよくしてくれました。送られてきた白木の箱には石ころが入っていたそうです。晩年、祖母は「認知症」になりましたが、たまに見舞いに行くと、私を見て「りょういち、りょういち」と戦死した長男の名前を呼びました。この原体験が、遺骨収集を18年間も続けている調さんの取材へと向かわせたのだと思います。この番組の主人公は調寛雅さんですが、小西誠さんの存在がとても重要です。「死んだ人は帰ってこない。ならば残された人は何をわかればいい?」という言葉があります。戦後世代の小西さんが、体験し語ることが、その問いに対する答えになればと願わずにはおれません。


<番組概要>

 ◆番組タイトル 第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『魂魄の道を生きる 〜タイ北部遺骨収集の前途〜』
 ◆放送日時 2006年11月9日(木)深夜3時10分〜4時05分放送
 ◆出演者
ナレーター 小山茉美
 ◆スタッフ
プロデューサー 横尾正之(サガテレビ)
ディレクター 武藤信也(サガテレビ)
構成作家 徳丸 望
編集 徳渕正樹
制作 サガテレビ

2006年10月31日発行「パブペパNo.06-373」 フジテレビ広報部