FNSドキュメンタリー大賞
昭和36年、三重県名張市で起きた「名張毒ぶどう酒事件」。
奥西勝死刑囚(80)は独房から無実を訴え続け、昨年4月、ついに再審開始決定を勝ち取った。
事件から44年目のことだった。この番組では死刑囚と家族の苦しみや支援者の思い、弁護団の努力、
そして、なぜ裁判官と検察官(国家権力)が再審開始を拒むのか、その理由について考える。

第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品

『「重い扉」〜名張毒ぶどう酒事件の45年〜』

(東海テレビ)

<7月8日(土)深夜3時10分〜4時05分放送>

 昭和36年、三重県名張市で起きた「名張毒ぶどう酒事件」
 奥西勝死刑囚(80)は独房から無実を訴え続け、昨年4月、ついに再審開始決定を勝ち取った。事件から44年目のことだった。この間、奥西は何を思い、何を失ったのか。
 7月8日(土)放送第15回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『「重い扉」〜名張毒ぶどう酒事件の45年〜』(東海テレビ)<深夜3時10分〜4時05分>では、事件直後から東海テレビが追い続けた貴重な映像をもとに、死刑囚と家族の苦しみや支援者の思い、弁護団の努力、そして、なぜ裁判官と検察官(国家権力)が再審開始を拒むのか、その理由について考える。

【番組の狙い】

 「名張毒ぶどう酒事件」の奥西勝死刑囚に対し、名古屋高裁は去年4月、「再審開始」=「裁判のやり直し」の決定を出した。逮捕から実に44年後の決定。
 しかし3日後、検察は異議を申し立て、現在も再審裁判は行われていない。なぜ再審の扉は重く、そして長い時間がかかるのか。そこには、現在の司法制度の問題点が浮かび上がる。
 たとえば、裁判所に横たわるタテ社会。裁判所も所詮、ひとつの役所に過ぎず、最高裁判所で確定した有罪判決を、覆すことは極めてむずかしく、その判断をした裁判官は“コース”から外れる。
 また、現在の制度では検察は、不利な証拠を提出しなくてもいいことになっていて、検察に不利な証拠、つまり被告人の無罪につながる証拠を提出する義務はない。まるで、裁判官も検察官も“間違いはしない”との前提で、組織と制度が組み立てられているかのようだ。
 折りしも今、司法改革が叫ばれている。裁判員制度の導入もいいが、どこか本質を置き去りにしていないのか…。
 「名張毒ぶどう酒事件」の再審開始決定をきっかけに、司法の問題を考えた。

【番組内容】

 「再審」とは有罪の確定判決に対し、裁判のやり直しをすること。これまで死刑確定後に「再審」で無罪となった事件は4件ある。
 松山事件(逮捕から28年7ヵ月)、財田川事件(逮捕から33年11ヵ月)、免田事件(逮捕から34年6ヵ月)、島田事件(逮捕から34年8ヵ月)。
 そして、5件目となる可能性が高いのが「名張毒ぶどう酒事件」だ。
 昭和36年3月、三重県名張市の小さな村の懇親会で、農薬入りのぶどう酒を飲んだ女性17人が中毒症状を起こし、うち5人が死亡した。
 事件から6日後、逮捕された奥西勝(当時35歳)は裁判で無実を訴え、1審は無罪だったものの、2審で逆転死刑判決を受け、昭和47年、最高裁で死刑が確定した。
 その後も奥西は無実を訴え続けて再審請求を繰り返し、事件から44年後の去年4月、7度目の請求で再審開始が認められた。しかし、その3日後、検察は異議を申し立て、再審は先送りとなった。あまりにも長き、「再審」までの道のり。その理由は何なのか?
 徳島ラジオ商事件で再審開始の決定を下した元裁判官の秋山さんは「裁判所のタテ社会」が原因だと証言する。
 裁判官のポストは「最高裁判所長官」を頂点に「最高裁判事」、その下に8つの「高等裁判所の長官」、そして全国50の「地方裁判所の所長」が出世ポスト。
 これらの人事はすべて最高裁が握る。出世コースから外れた裁判官は地方の支部を転々と異動し、給料でも差がつく。そのため、一度、最高裁で確定した判決を覆してまで、再審決定を決断する裁判官が少ないのが実情だと話す。
 検察幹部として松山事件や財田川事件の再審請求に関わった元仙台高検検事長の小嶌さんは、検察官が証拠の一部のみを裁判所に提出する「最良証拠主義」が問題だと指摘。検察官は自分が起訴した事件を守ろうとするがために、「検察の不利な証拠」=「被告に有利な証拠」があったとしても、裁判所に提出しないことがあると言う。
 実際、4つの死刑冤罪事件では、検察の未提出記録が再審無罪につながっている。まさに国家権力が再審の扉を閉ざしている現状があるのだ。
 この間、奥西の無実を信じ続けた両親は死亡。事件当時、幼かった二人の子供は、その後、死刑囚の父を拒絶し、村を離れ、いまも息を潜めて暮らしている。
 事件直後から東海テレビが追い続けた貴重な映像をもとに、45年間の死刑囚の苦しみや肉親や支援者の思い、再審開始を勝ち取った弁護団の努力、そして再審を拒む国家権力の理由に迫る報道ドキュメントをお届けする。

<制作担当者のコメント>

 「名張毒ぶどう酒事件」をご存知ですか。ワインがぶどう酒と呼ばれていた昭和36年、今から45年前の事件です。奥西勝死刑囚(80歳)は、逮捕後から無実を訴え続け、昨年4月ようやく裁判のやり直し=再審が認められました。
 35歳で逮捕された奥西死刑囚。当時、中1の長男と小学校入学を控えた長女がいました。事件が起きたのは3月28日。奥西死刑囚は警察で昼夜、厳しい取調べを受けました。事件で妻を亡くし、早く家に戻り、長女の入学準備をしたかったそうです。そして警察から「自白すれば家に帰してやる」と言われ、自供したといいます。逮捕された奥西死刑囚がその後、二人の子供と再会したのは、警察の現場検証の時でした。手錠引き縄姿の父をみて「お父ちゃん、お父ちゃん」と何度も叫び、駆け寄ってきた二人の姿が今でも頭から離れないそうです。事件後、家族はバラバラとなり、二人は名張から遠く離れた地で今も息を潜めて暮らしています。
 そして、今年1月、80歳になった奥西死刑囚。3年前、ガンで胃を3分の2切除しました。再審開始決定からまもなく1年が経ちますが、検察の異議申し立てにより、再審裁判はいまだ開かれていません。毎日、死刑の恐怖に怯え、人生の半分を拘置所で暮らした男。なぜ、日本の司法は長い間、彼に手を差し伸べなかったのでしょうか。その理由をぜひ番組で確かめて下さい。
(東海テレビ報道部・斉藤潤一)


≪スタッフ≫

<ナレーション> 渡辺いっけい
<取材・構成> 斎藤潤一(東海テレビ)
<撮影> 坂井洋紀(BBS)
<VE・音声> 米野真碁(BBS)
<編集> 奥田 繁(エキスプレス)
<プロデューサー> 中根康邦(東海テレビ)

2006年6月26日発行「パブペパNo.06-204」 フジテレビ広報部