FNSドキュメンタリー大賞
2004年12月26日 インドネシアスマトラ島沖で発生した津波が
インド洋沿岸諸国を襲った。
壊滅的な被害を受けたスリランカの復興支援のために動き出した
富山市の主婦・川渕映子さん(55)の姿を追う。

第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『前へ!前へ!津波の島へ!〜おばさんNGOの挑戦〜』

(富山テレビ)

<2005年11月30日(水)深夜3時18分〜4時13分放送>

 11月30日(水)深夜3時18分〜4時13放送の第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『前へ!前へ!津波の島へ!〜おばさんNGOの挑戦〜』(制作:富山テレビ)では、2004年12月26日、インドネシアスマトラ島沖地震により発生した津波が大きな被害をもたらしたスリランカ。この復興支援のために活動する富山市の主婦・川渕映子さん(55)の姿を追う。

<企画概要>

 富山市の主婦・川渕映子さん(55)。2004年の暮れに津波に襲われたスリランカを仲間と共に訪れ、日用品や文房具を配っている。これらは、川渕さんの元に寄せられた“家庭の不用品”や、それを売って得た資金で買ったもの。「物をムダにしない」をポリシーとする川渕さんが日用品だけでなく、富山の漁師とともに壊滅的な被害を受けたスリランカの漁業復興にも動き出した姿を追う。

<番組内容>

 番組の主人公は家庭で不要になった日用品を集めて、アジアを舞台に国際的な支援活動をしている富山の主婦・川渕映子さん。川渕さんは55歳。現在、津波に襲われたスリランカの復興支援のため東奔西走している。川渕さんはスリランカの言葉を話せたり、英語をたくみに操るタイプではない。ただ、顔を見て、思いを伝えて、友達やシンパをどんどん増やしていく。彼女の姿勢はとにかく前向き。国境や言葉の壁を越えて活動を繰り広げている。彼女の行動力に触発されて応援する仲間もどんどん増えているのだ。彼女が語りかけてくるもの、それは何かを始めたい、壁を超えたいと思っているすべての人たちへの応援歌でもあるのだ。
 暮れも押し迫った2004年12月26日、インドネシアスマトラ島沖で発生した津波がインド洋沿岸諸国を襲った。まるで、海から溢れ出たような波が浜辺のホテルに押し寄せ、町中が濁流に飲み込まれる映像は日本でも繰り返し放送され、想像を超えた津波の破壊力と、悲しみに沈む被災民の姿に胸を締め付けられた人も少なくなかったはずだ。
 富山市の主婦、川渕映子さん(55)も津波のニュースを心配げに眺めていた一人。川渕さんはベトナムで小学校を建てる活動を進めてきた「国際NGO主婦」だが、インド洋沿岸の国々を飲み込んだ大災害に「これだけの災害ならば、国連や大きな組織が支援に乗り出さなくてはだめだ」と考えていた。
 そんな時、一通のFAXが彼女のもとに届く。送り主は以前、ボランティア活動で知りあったスリランカ人の男性。たどたどしい日本語で、現地の惨状を伝え、助けを求めていた。「セイロンティー」などで知られる島国、スリランカでは死者は3万9000人、行方不明者は1万4000人に上っている。
 未曾有の大災害で果たして小さなNGOに何が出来るのか? 余震は大丈夫なのか? そんな周囲の心配をよそに、川渕さんはスリランカ行きを決意。津波からちょうど1ヶ月。現地の状況はわからない点が多いものの、とにかく現場を見ないことには始まらないと、スリランカに到着した。そこに広がっていたのは家々が押し流され、がれきの山となった集落。真っ二つに割れた船、家族を失い途方にくれる人々の姿だった。驚いてばかりいても仕方がない。川渕さんはFAXを送ったスリランカ人男性・ガミニーさんと富山でかき集めて持ってきたタオルや石けんなどの日用品を配り始めたのだ。夢中で各地をまわって、日用品を配る中でいくつか気付いた点もあった。食べるもの、すぐに使えるものが不足していること。古着はあまり必要とされていないこと。そして、特に漁村では船や網が流され、仕事を再開するメドが立っていないこと。
 どうしたら、生活の再建が出来るのか?
 富山に戻った川渕さんは動き出した。地元の漁師に何か提供できる漁具、あるいは技術はないか、ぜひ現地に一緒に行って見て欲しいと協力を求めたのである。協力を求められた人物の一人、とやま市漁協の浦上組合長は富山湾で操業するベテラン漁師。沿岸部、特に漁村が壊滅的な被害を受けているという川渕さんの説明に心が動いたのだ。国は違っても同じ漁師。力になれる事があれば…そんな思いからスリランカ行きを決めたのだ。
 そして3月、川渕さんは浦上組合長や11人の仲間とともに再び、スリランカを訪れる。今回の目的は、1月の訪問で知り合った人たちに物資を再び届けること、また、漁業復興にどんな協力ができるのかプロの目で現地を見てもらう事だった。津波から3ヶ月が経過した現地ではようやく、本格的な復興が始まろうとしていた。2ヶ月前に訪れた際に知り合った現地の被災者も仮設住宅にひとまず落ち着いていた。しかし、仕事をもち、生活の糧を得るにはまだ程遠い現状。漁師達は船や網を奪われたまま。また海への恐怖感も消えていなかったのである。
 少しでも立ち直って、明るさを取り戻して欲しい。スリランカで始まった川渕さんの支援はいよいよ第2フェーズに入った。

<砂原宏昭ディレクターコメント>

「『私、スリランカ行くことにしたよ。』そんな電話が掛かってきたのは松の内がようやく明けた今年の正月。  電話の主は川渕映子さん。それが、今回の取材の始まりでした。電話が来たタイミングは津波が諸国を襲って10日後。私たちは『今、スリランカって行けるの?』そんな認識しかありませんでした。どんどん物事を決めて、どんどん周囲を巻き込み、行動を起こしてゆく川渕さん。自分たちは、55歳のおばさんに負けていない? そう感じさせられる事もしょっちゅうでした。  そんな行動的な取材対象ですから、いろんな映像が撮れます。また、取材する側がうなるようないいコメントも飛び出します。しかし、順調な取材でもディレクターには不安がこみ上げてくるもの。川渕さんの場合は『聖人君子すぎないかなあ』という点でした。川渕さんはいろんな場面で声を荒げることもなく、グチをこぼすこともありません。川渕さんにとっての“弁慶の泣き所”はないのか? 何とか人間くさい所にたどりつきたい。めまぐるしく動き回る川渕さんを取材する一方で、私の関心はその一点に集中してゆきます。思わず取り乱す一瞬や、怒りに震える瞬間はこの人にはないのだろうか? カメラを持たずに、自宅に何度もお邪魔していろいろな話をしました。政治の話から世間一般の話、はたまた韓流スターの話まで…。何とか糸口を探りたい私に対し、いつものペースで話してくれる川渕さん。『怒ること? うーん、自分が楽しいからボランティアをやっているので、そんな事思わないねえ』まずいぞ。OA日が迫ってきている…。  そこで、結論。多分…ですが、川渕さんはやはり、言葉通り、ボランティアに燃える前向きな人なのだと思います。でも、まだ確信は持てません。富山テレビでは川渕さんと漁師さんが今後、どのように船や網をスリランカに送り、どのように復興に手を差しのべてゆくのか、取材を続けてゆくつもりです。そして、その過程の中で、私は“人間・川渕映子さん”の赤裸々な姿に迫ってゆくつもりです。」


<番組概要>

◆番組タイトル 第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『前へ!前へ!津波の島へ!〜おばさんNGOの挑戦〜』
(富山テレビ)
◆放送日時 11月30日(水)深夜3時18分〜4時13分放送
◆スタッフ
 プロデュ―サー 杉谷和嗣
 ディレクター 砂原宏昭
 構成 関 盛秀
 ナレーター 辻谷耕史
 撮影 小島崇義
 音響効果 金子寛史
 制作 富山テレビ

2005年11月30日発行「パブペパNo.05-410」 フジテレビ広報部