1997年5月。神戸市須磨区の中学校で、行方不明になっていた小学6年生の土師淳君(11)が、変わり果てた姿で見つかったあの事件から、7年が経った。
切断され傷つけられた遺体、そして、そこに添えられていた「酒鬼薔薇聖斗」と書かれた挑戦状。猟奇的な犯行に、日本中が震撼した。さらに世間を驚愕(きょうがく)させたのは、逮捕された容疑者がまだ14歳の少年だったということだった。
亡くなった淳君には、2歳年上の兄、巧(さとし)さんがいた。
事件当時、巧さんは中学2年生、13歳。しかも、事件の現場となったのは当時通っていた中学校、加害者は、同じ中学の上級生だった。
“一緒の部屋で寝て、一緒の部屋で勉強していた弟”が、突然殺されたことで、巧さんの人生は大きく変わってしまった。
事件により、友達との関係も壊れた。「弟を殺された人」という視線が付きまとい、友だちと何を話せばいいのか、わからなくなったという。「何も理解してもらえないという壁を感じた…」。学校に行くことが耐えられなくなり、通うことができない状態が続いた。
淳君の父、守さんは、被害者の権利の確立を求める“全国犯罪被害者の会”に参加しており、被害者を無視している最たるものが少年事件だと話す。「被害者が刑事裁判に参加できないのはおかしい」と訴えて署名活動をしている。
加害者の「少年A」が精神科医らで結成された“特別処遇チーム”によって更生が図られている一方で、巧さんに公的支援はなかった。遠くの高校へ父が車で送る日々が続いた。
高校卒業から2年を経て、巧さんは、この春(2004年)、大学生になった。
以前は、父の姿に「法律は正義ではない」と冷ややかだったが、最近は“全国犯罪被害者の会”の活動にも顔を出すようになった。
そして、巧さんは、この7年間の苦しい胸の内を、はじめてカメラの前で語ってくれた――。
2005年1月17日発行「パブペパNo.05-013」 フジテレビ広報部