FNSドキュメンタリー大賞
第13回FNSドキュメンタリー大賞の大賞作品に選ばれた関西テレビの作品「罪の意味―少年A仮退院と被害者家族の7年―」を全篇放送!
(優秀賞2作品、佳作3作品はダイジェスト)

大賞を受賞した関西テレビの柴谷真理子ディレクターに大賞を受賞した感想、被害者家族を取材した思いを聞いた。


『決定! 第13回FNSドキュメンタリー大賞』

<1月30日(日)16時〜17時25分放送>




 フジテレビの系列28局が番組制作能力の向上と、そのノウハウの蓄積を図るという趣旨のもと、ドキュメンタリー作品を競い合う「第13回FNSドキュメンタリー大賞」の審査会が昨年12月に行われ、厳選な審査の結果、大賞に関西テレビ制作の「罪の意味―少年A仮退院と被害者家族の7年―」が選ばれた。1月28日に行われる贈賞式では、関西テレビに賞金として500万円が贈られる。
 大賞作品「罪の意味―少年A仮退院と被害者家族の7年―」は、
少年A事件の被害者の2歳上の兄である巧(さとし)さんが、事実上、公的支援もないまま事件からの7年間を、被害者の兄としてどう考え、どう生きてきたのかを追った秀作で、「少年Aの関東医療少年院本退院が決定した今、時宜を得た作品。取材としてはシンプルだが、被害者の兄に焦点を当てた着眼点がよく、兄の証言をここまで引き出したのはすばらしい。兄が長年抱えてきた苦悩がよく表現されている。静かに訴える力のある作品で、家族の再生、父と子の物語でもある」と審査員の高い評価を得た。
 なお、第13回FNSドキュメンタリー大賞の大賞作品に選ばれた関西テレビの作品は、
1月30日(日)16時〜17時25分放送の『決定! 第13回FNSドキュメンタリー大賞』の中で、全編放送される。(優秀賞2作品、佳作3作品はダイジェスト)

 今回がFNSドキュメンタリー大賞初挑戦で、いきなり大賞を獲得するという快挙を成し遂げたのは、関西テレビの
柴谷真理子ディレクター。柴谷Dは92年の入社で、番組作りがしたくて入社したが、最初の配属は番組業務部、その後、7年間、ニュースの中継技術の部署に在籍した。入社9年目に念願の報道部に移り、府庁記者クラブなどに所属し、2001年6月に起きた池田小事件等を取材した。一人で一本のドキュメンタリー作品を仕上げるのは今回が初めてだという。
 柴谷Dに大賞を受賞した感想、被害者家族を取材した思いを聞いた。

○土師淳君のお兄さんを取材しようと思ったきっかけは?
 もともとは取材しようと思ってアプローチしたのではなく、全国犯罪被害者の会である「あすの会」で土師淳君のお父様と知り合いになる機会がありました。土師さん一家とおつきあいするようになり、淳君のお兄さんの巧さんとも知り合いになることができました。たいへんな経験をされたのに、ふだんの好青年ぶりとのギャップがあり、少年Aが3月(2004年)に仮退院することが決まったというタイミングもあり、巧さんが今、どういう風に感じているかを知りたいと思い、正式に取材を始めました。巧さんという存在はあまりクローズアップされていなかったのですが、私が取材できたのは、たまたま知り合いになれたからです。
 もちろん私だけではないと思いますが、家族に近い立場で、一家のことを知る私が、記者として、家族の抱える思いを聞き流していいのかと思ったんです。


○巧さん自身が取材を受け入れてくれた理由は?
 まずタイミングだと思います。彼が二十歳になったこと、少年Aの仮退院がクローズアップされたこと、ずっと抱えていた自分の置かれた状況に言いたいことがあり、お父様の知り合いである記者の私が取材を申し出たことなど、いろいろな要素が重なり、取材を受けてくださいました。

○大賞を受賞した感想は?
 番組の内容的に大賞を受賞して手放しで喜べるという性質のものではないですが、私たちスタッフが受賞したというより、土師家の皆様には取材期間、しんどい思いをしてもらったと思いますので、もう一度、全国ネットで夕方の時間帯に放送してもらえるのは、インタビューに答えてくれたことへのお返しができ、責任が果たせたかなと思います。
 土師さんは取材期間中、私が巧さんと外で何をしゃべっているのか心配されたと思いますし、巧さんにとっても、長時間、つらい体験を話すのは心の負担になったと思います。親子にとって、いろいろな思いの中で、この取材を受けていただいたと思いますが、このタイミングで、もう一度、放送してもらえるのはうれしいと喜ばれていました。


○巧さんをはじめとした土師家の取材を通して一番感じたことは何ですか?
 加害者の話はよく知られていて、どうして14歳の少年がこんな事件を起こしたのかという興味を世間は持っており、そこを突き詰めていくのも大事ですが、加害者と同じ中学校に通う淳君のお兄さんが、学校に行けなくなるという深刻な状況を私は知らなかったし、記者としてその点も突き詰めていくべきじゃないかと思ったんです。2001年に池田小学校の事件を取材した際に、被害者の方々からマスコミの取材のあり方を考えて欲しいといわれました。被害者の状況をもっと知るべきだと、会社の同僚記者と犯罪被害者が集まる「あすの会」に顔をだすようになりました。被害者の置かれた状況を記者である私が知らないのだから、一般の人々はもっと知らないんだろうなと思いました。「あすの会」で、土師さんと知り合い、ある程度の時間をかけて、信頼関係を築くことができました。相性の問題もありますが、取材しようしようとギラギラしていないのがよかったのかもしれませんね(笑)。土師さんのお宅におじゃまするようになり、お父さんやお母さんと話しているのを見て、巧さんも私のことを信頼してくださったのだと思います。

○被害者の遺族は、本当に再生できると思いますか。
 遺族の方々は大きな傷を負われたと思いますが、取材する我々としても、再生してほしいという気持ちがあります。巧さんはもちろん事件当時の中学生時代よりは立ち直ったと思いますが、だからよかったという単純な話ではないと思います。再生した部分もあると思いますが、私たちが想像する以上に、今後もたいへんなことがあると思います。

○今後、番組にしたいテーマはありますか。
 今は、積極的には考えていないですね。土師さんの取材を番組として始めた時も、顔を出してインタビューに答えてもらえない、家にカメラをいれてもらえないなど、しんどいのは目に見えていました。本当に番組になるのかと不安になりましたし、今のうちに止めたほうがいいんじゃないかとアドバイスしてくれる人もいました。
 今後、番組にしたいテーマですか。今後、記者として、今回のようなテーマに出会えるかどうか次第だと思っています。正直、今の時点では番組にしたいテーマは思いつきません。




<大賞作品の概要>
<プロデューサー> 杉本真一
<ディレクター> 柴谷真理子
<ナレーション> 山本太郎
<撮影> 関口高史
<音声> 長谷川周作
<編集> 野上隆司
<制作著作> 関西テレビ放送



<内容>
 1997年5月。神戸市須磨区の中学校で、行方不明になっていた小学6年生の土師淳君(11)が、変わり果てた姿で見つかったあの事件から、7年が経った。
 切断され傷つけられた遺体、そして、そこに添えられていた「酒鬼薔薇聖斗」と書かれた挑戦状。猟奇的な犯行に、日本中が震撼した。さらに世間を驚愕(きょうがく)させたのは、逮捕された容疑者がまだ14歳の少年だったということだった。

 亡くなった淳君には、2歳年上の兄、巧(さとし)さんがいた。
 事件当時、巧さんは中学2年生、13歳。しかも、事件の現場となったのは当時通っていた中学校、加害者は、同じ中学の上級生だった。
 “一緒の部屋で寝て、一緒の部屋で勉強していた弟”が、突然殺されたことで、巧さんの人生は大きく変わってしまった。
 事件により、友達との関係も壊れた。「弟を殺された人」という視線が付きまとい、友だちと何を話せばいいのか、わからなくなったという。「何も理解してもらえないという壁を感じた…」。学校に行くことが耐えられなくなり、通うことができない状態が続いた。

 淳君の父、守さんは、被害者の権利の確立を求める“全国犯罪被害者の会”に参加しており、被害者を無視している最たるものが少年事件だと話す。「被害者が刑事裁判に参加できないのはおかしい」と訴えて署名活動をしている。

 加害者の「少年A」が精神科医らで結成された“特別処遇チーム”によって更生が図られている一方で、巧さんに公的支援はなかった。遠くの高校へ父が車で送る日々が続いた。
 高校卒業から2年を経て、巧さんは、この春(2004年)、大学生になった。
 以前は、父の姿に「法律は正義ではない」と冷ややかだったが、最近は“全国犯罪被害者の会”の活動にも顔を出すようになった。
 そして、巧さんは、この7年間の苦しい胸の内を、はじめてカメラの前で語ってくれた――。
2005年1月17日発行「パブペパNo.05-013」 フジテレビ広報部

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