FNSドキュメンタリー大賞
今から半世紀前、海を渡ったドミニカ移民がなぜ、祖国・日本を相手に訴訟を起こさなければならなかったのか?彼らを突き動かすその思いとは一体、何かを考える。

FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『そこに楽園は無かった〜ドミニカ移民 苦闘の半世紀〜』
(鹿児島テレビ放送)


<10月16日(土) 3:50〜4:45>
【2004年10月15日(金)27:50〜28:45】





2000年7月、東京地方裁判所。この日、遠い異国の地から"ある覚悟"を持ってやってきた日本人たちの姿があった。今から半世紀前、海を渡ったドミニカ移民たちである。訴えた相手は、祖国「日本」。10月15日(金)放送のFNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『そこに楽園は無かった〜ドミニカ移民苦闘の半世紀〜』(鹿児島テレビ放送)<27時50分〜28時45分>では、なぜ彼らは、祖国を相手に訴訟を起こさなければならなかったのか?彼らを突き動かすその思いとは一体、何かを考える。

 戦後、日本は戦地からの引き揚げ者、失業者など国中に人が溢れかえっていた。その数、600万人。日本政府はこの人口の増加などによる社会混乱の解消を目的として、直接、戦火を交えなかった国々への「移民政策」を積極的に推進していく。その一つがドミニカへの移住。国が示した条件は「300タレア(東京ドーム4つ分)の土地を無償譲渡、さらにその土地は肥沃」だった。
 ドミニカへの移民は1956年から行われ、全国から約1300人が応募、うち、鹿児島県出身者は約280人と全体の1/5を占めていた。
 ブラジルを始めとする他の移住地に比べ、格段、好条件の募集内容に移住者は胸を躍らせた。付いた名が「カリブの楽園」―。しかし、実際に彼らを待ち受けていたのは地獄のような日々だった。無償譲渡されたのは日本政府が約束した土地の1/3。しかも、その土地たるや岩や石ころだらけの不毛の荒地、塩の一面の砂漠など、そのほとんどが農業に適さない耕作不適地で、さらに深刻な水不足も追い打ちをかけた。土地の所有権も認められていなかった。
 「カリブの楽園で広大な農地を無償譲渡」。この日本政府の言葉を信じ、半世紀前、海を渡った約1300人の日本人の夢と希望は一瞬にして打ち砕かれた。入植時のドミニカはトルヒーヨ独裁政権下で、半強制的に収用した土地も多かったため、日本人移民を見る現地の目は冷たかった。悲劇は続き、政権の崩壊とともに略奪の対象とされ、わずかな収穫物や農具さえ強奪された。移住者の中には逃げ出し、生活苦の末、自殺した人々も少なくなかったという。
 そんなドミニカ移民の悲惨な半生を如実に描写した唄が女性たちの間で歌われ続けている。

<浦島太郎の替え歌>
   むかし むかし 母ちゃんは
   ぶらじる丸に乗せられて
   ドミニカ移住をしてきたら
   難儀、苦労が待っていた

   オヤジ殿が 移住など
   考え付いたばっかりに
   若き時代は夢の間に
   今は白髪のお婆さん

 “竜宮城”のような楽園を夢見て、遠い異国の地に渡った移民たち、しかし、“現実”という玉手箱を開けてみると、楽園など何処にもなかった。

 2000年7月、移住者177人は半世紀に及ぶドミニカ移民の窮状に何ら有効な対策をとらなかったとして、国を相手に総額31億円の損害賠償を求める訴訟を起こした。
 177人の移民たちは国の示した募集要領は全くのデタラメで、約束の土地や条件が与えられなかったと謝罪を要求。これに対し、国はドミニカ移民は“国策”で行なったのではなく、ただ「斡旋」しただけだという。
 手続きは、JICAが行い、配分地が募集内容と違った点については「ドミニカ政府の問題」と、両者の意見は平行線をたどる。
 裁判の最大の争点は移民政策が「国策」であるか、どうか。

 裁判が進むにつれ、移民計画を立案した外務省のずさんで、信じ難い移民交渉の始終が浮き掘りとなる。土地の所有権を事実上、認めないドミニカ共和国の植民政策などについて、しっかりと調査せず、政策を推進、しかも、石ころだらけや塩の荒地の条件の悪さを知っていたのである。移住者の一人、原告団の事務局長を務める嶽釜徹(66)さんは次のように話す。
「私達はカリブ海の島に棄てられたんですよ。棄民なんです」
 提訴から4年。未だ解決の糸口さえ見つからないドミニカ移民問題。「戦後移民史上、最悪のケース」、棄民政策ともいわれるドミニカ移民政策について、移民たちの証言とこれまでの外交記録を交えながら、検証。戦後の急速な経済復興の中で、歴史の陰に追いやられたドミニカ移民の現状を明らかにしながら、国が行った移民政策とは何かを考える。

<四元良隆ディレクターのコメント>

 このドミニカ移民問題に関しては自分が報道記者時代からずっと着目していた問題でした。提訴から4年。なかなか解決へ向け、事態が動かない現状、その間、平均年齢が80歳を超える移民1世の方々がこの世を去っていく中、「何か自分にできることはないか。この現状を多くの人々に知ってもらいたい」と思って始めたのがこの取材に本格的に入った大きなきっかけです。
 取材を進めていくと、そこにはいまだに何一つ変わらないドミニカ移民たちの苦境にあえぐ姿がありました。7つの入植地は今も48年前と変わらない荒涼とした荒地が広がっています。
 視察に来た外務省職員に『石も3年経てば、肥料になる』といわれた移住者もいました。移住者たちが必死に農地を確保しようと集めた石の小山も無数に広がっていました。そこには半世紀経った今も移住者たちの嘆きが聞こえる現状が確かにありました。
 この番組ではただドミニカ移民の方々が悲惨というだけでなく、“彼らがなぜ、そういった現状になったのか。なぜ、半世紀近く経った今、解決へ向け動かないのか”、その一部始終をしっかりと見て欲しいと思います。
 今年3月、小泉純一郎首相が国に不手際があったことを公式の場で認めました。そして、「移住者の方々にはしっかりとした対応をしたい」と言明しました。しかし、外務省は「首相発言は法的なものでなく、和解の意思はない」ことを示しました。
 一国の首相が不手際を認めたのにも関わらず、なぜ、解決に至らないのか。そこには何があるのか。自国民さえ守らないこの国は一体、何処へ進もうとしているのか!
 この番組を通して、多くの世代の方々に今、あらためて自分たちにとって“国”とは何なんだろうか本当に考えるきっかけにしてほしいと思います。




<スタッフ>
プロデューサー 増留三朗
松元憲一
徳留孝一
井上聡一
ディレクター・構成・編集 四元良隆
ナレーター 益岡徹
音楽 吉俣良
撮影 井田耕一

2004年10月7日発行「パブペパNo.04-317」 フジテレビ広報部

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