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第80回 2004年1月25日 「女王マリーのパイ」![]()
ロレーヌ地方は、元ポーランドの国王でその後この地方を治めた
スタニスラス公の面影が数多く残る場所。 芸術ばかりでなく料理やお菓子にまで影響を及ぼしたスタニスラス公。 今回はその彼の娘が大好きだったという一口パイを紹介する。 |
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![]() ![]() ナンシーという街は、19世紀末にヨーロッパで大流行したアール・ヌヴォーの拠点として栄えた「芸術の街」として知られていますが、もうひとつ有名なのが、世界遺産のひとつとしても知られるスタニスラス広場です。広場の中心には、この広場の名前にもなっているスタニスラスの像があり、それを囲むように金細工の華やかな模様のついた建物、噴水、門などのロココ調建築が建ち並び豪華な奮起を醸し出しています。これらは、18世紀にロレーヌ公になったスタニスラスが、芸術に関心深かった人物だったからこそ残った遺産だといえますが、その他に彼は「食」についても非常に関心が強かったようです。 まず、私が取材の中でスタニスラスの像や肖像画を見て印象的だった事。それは、彼が非常に恰幅の良い人間だったという事でした。もちろん事前に資料などを見て、彼が「食」についていろいろなものをこの地方に残してきた人物だと知っていた訳ですが、この恰幅の良さを見て「さすが食通…というか食いしん坊?らしく、姿形もそんな雰囲気を醸し出しているんだなあ…」と改めて思った訳です。彼が名付けたとして良く知られるお菓子の中に「ババ」というお菓子があります。これは、もともとロレーヌ地方の隣、アルザスの銘菓クグロフが、日が経ち堅くなってしまったのを、スタニスラスが大好きなラム酒を掛けて柔らかくして食べていたのが発端でできたお菓子なのです。こうして食べると美味しかったため、当時彼が読んでいた「千夜一夜物語」のアリババの名前から、「ババ」と呼ぶようになり、それが後に「ババ」というお菓子として作られるようになったのです…そして、この「ババ」の作り方が発展してできたのが「サヴァラン」というお菓子。このようにスタニスラスのお陰でロレーヌ地方から生まれたお菓子は、マドレーヌ、ナンシーチョコレート、ドラジェ、ベルガモットのキャンディといろいろあります。また、料理に関してもスタニスラスの影響は大きかったようで、そんな所に興味を持ってこの街でレストランを始めたのが、今回紹介した店のオーナーだったのです。彼は、一生懸命、スタニスラスがロレーヌ公になった18世紀当時の文献を紐解き、もともとポーランドで生まれながら、それがアレンジされてフランスのものとして食べられるようになった料理を研究し、レストランのメニューに加えてきたのです。つまり、それらの料理はスタニスラスの影響でこの地で作られ、恐らくスタニスラス自身が食べていたからこそ伝えられた料理だと、この店のオーナーは考えているわけです。いわば、この店のメニューはポーランド風フランス料理。そしてスタニスラスが好きで、実際に食べていたであろう料理だという事。 料理以外にも、この店には、ロレーヌ地方の料理の歴史が書かれたポストカードが用意されていますので、それを呼んで見るのも面白いと思います。ちなみに今回紹介した料理「ブッシュ・ア・ラ・レンヌ・マリー・レクザンスカ」の「ブシェ」とは「口」という意味で、始めは一口で食べられるサイズで作られた事からこの名前が付いているということでした。 |
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「ブッシュ・ア・ラ・レンヌ・マリー・レクザンスカ」![]() |
<作り方> [1] パイ生地を丸く切り、更にその上に円状のパイ生地を乗せ、卵黄を塗ってオーブンで20分焼き上げる。 [2] フライパンにバターを入れ、タマネギ、マッシュルーム、細かく切ったを炒め塩・コショウで味付ける。 [3] 更に、茹でた牛タンを細かく切ってフライパンに入れて炒め、白ワインを入れてしばらく煮込む。 [4] その後、牛乳で煮た仔牛の胸腺、生クリームを加え5分程煮込む。 [5] [4] で煮込んだものを[1] のパイ生地の中に入れ盛り付ける。 |
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![]() A la table du Bon Roi Stanislas(レストラン) 住所:7, rue Gustave Simon 54000 NANCY TEL:03 83 35 36 52 |
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![]() 「RUE DES CASCADES」 YANN TIERSEN 作詞/作曲:YANN TIERSEN レコード会社/CD NO:POP BIZ/PBPCD-011 |
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