アナルームニュース 2006年01月24日号 |
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| いよいよトリノ五輪の開催が迫りました。私は12月に現地へ行き、開幕前の街を取材しました。 |
| 東京からトリノへの直行便はありません。今回私はローマ乗換えでトリノへ向かったのですが、そのローマで、ビッグイベントに立ち会うことが出来ました。聖火リレーがイタリア国内をスタートしたのです。 | |
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大統領官邸前で、朝10時からセレモニーが始まり、ギリシャのオリンピアで採火された聖火が、聖火台を経由し、第1走者アテネ五輪の男子マラソン金メダリスト、バルディーニ選手のトーチに移されました。いよいよ聖火がイタリア国内を走り出します。 「五輪がこの国にやってくる」。地元の人々が誇らしげに話しかけてくれました。国内向けに生放送もされたこのイベント。各国要人やメディアも集まりましたが、実際は意外にほのぼのとした手作りムード。 気温は0℃をようやく上回る程度。ひんやりとした、古い石造りの建物が立ち並ぶローマの市街地には、白い息を吐きながら幸福感を噛みしめる市民たちの喜びの輪ができていました。 |
| 聖火はその後、バチカン市国にあるキリスト教ローマンカトリックの中心地、サンピエトロ広場に到着。ローマ法王の祝福の祈りとメッセージを受けました。 広場は大観衆にすっかり埋め尽くされていました。イタリア人のみならず、ヨーロッパの諸国をはじめ、遠くは南北アメリカからという人たち・・・。 法王のメッセージは、イタリア語、スペイン語、英語、フランス語、ドイツ語・・・と、いくつもの言語で読み上げられました。母国語のメッセージが始まると、その国の人たちは喜びの声をあげます。あちらこちらから散発的に沸き起こる歓声を聞いていると、世界にはいろいろな人がいて、それが自然に集ったのだなと思い、幸せな気分になりました。 |
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| 取材を終えた私達は、翌朝(といっても時差は8時間。ギリギリのタイミングです。)のめざましテレビのために映像を東京に送ったあと、空路でトリノへ向かいました。トリノはローマよりやや寒く、日本で言えば、南北海道と同じくらいでしょうか。人口は90万。イタリア第4の大都市。冬季五輪としては、かなり規模の大きい街です。サッカーの名門チームユベントスでも有名なトリノは自動車産業で栄えた町で、FIATという自動車会社の本社工場が、かつては町の中心にありました。 |
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| そのすぐ脇には列車の貨物ターミナルがあり、自動車をスムーズに出荷できるような街づくりがされていました。現在は工場が郊外に移り、旧工場や貨物ターミナルもかつての役割を終えたのですが、実はその敷地が今回の五輪の心臓部になっているのです。 旧本社のすぐ隣には、スピードスケートの会場とメインプレスセンターがあり、ターミナルを挟んだ反対側には選手村が広がっています。旧本社ビルの屋上から見ると、こんな感じ。選手村からこちら側まで歩いて来られるよう、アーチ状の橋が掛けられ、とても美しいデザインですね。 (余談ですが、この写真を撮った場所は、8年前まで使われていた旧本社屋上の車のテストコース。高い建物の屋上にコースがあるんですね! 車に素人の私はちょっとびっくりでした。) |
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また、私が取材をしている時には、五輪の大会で使用する会場を使って、スピードスケートのW杯が行われていました。既に五輪出場が内定していた清水宏保選手や加藤条治選手を始め、この時点では出場が決まっていない岡崎朋美選手らも、本番のリンクの雰囲気をしっかり感じていたと思います。 ただ、ごく最近まで内装工事が行われていたため、会場内は目に見えないほど小さな埃が立ち込め、リンクの氷もかなりの不純物が含まれていたようです。何人かの選手は、スケートの刃の角(エッジ)がすぐに減ってしまうと話していました。いやー、微妙なものですね! |
| もちろんこれでは最高のパフォーマンスを発揮することはできません。でもご心配なく。このあと五輪本番までに、新しいきれいな氷が張りなおされることになるようです。しかも、製氷責任者は、あの加藤条治選手の世界新記録を生み出したソルトレイクシティーのリンクの氷を作った人だそう。 本番はどんなリンクコンディションになっているか、とても楽しみです。 |
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| この会場は、五輪のために新設された数少ない建物の1つで、斜めに張り出した天井とガラスの壁が印象的です。 長野五輪のエムウエーブのような豪華さはありませんが、シンプルでスマートなデザインです。 大会が始まれば、皆さんもニュースで頻繁に目にすることになるでしょう。 ところで、この会場は旧本社工場跡地に建てられているので、周囲の景色はちょっと殺風景。かつての工場の壁が部分的に残っていて、廃墟のような雰囲気でした。 |
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| その他、会場内部を見ることが出来たのは、フィギュアスケートとショートトラックの会場です。 先日めざましテレビでも紹介しましたが、船の帆をイメージした屋根の形が特徴的な建造物で、既に築44年。改装後の美しさからはちょっと想像がつきませんね。 |
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| 会場のスタンドは、白と銀色で無彩色が基調。フィギュアの選手の華やかな舞が引き立つ感じでした。 私が取材したときは、ショートトラックのイタリアチームが練習していました。 特に選手達と話はしませんでしたが、ホスト国として、気持ちはかなり充実している感じがしました。 2つの種目の会場となるここには、大会中何度も足を運ぶことになりそうです。 |
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その他、改装中にもかかわらず、開会式の演出を秘密にしておくため、内部は見せてもらえなかったメインスタジアムも築60年を超える古いものです。 敷地内にあるタワーの文字は、かつてファシズムを進めたムッソリーニがその力を誇示するために用いた字体だそうです。 大会関連施設は、古い施設を改修して使うものが大部分で、街全体がゴッソリ新しく変貌する感じはありません。近年、五輪は何かとお金がかかることが話題になりますが、トリノ五輪は、古いものを改修して生かし、その趣も大切にしながら運営しようと考えられているみたいですね。 |
| 一方選手村は、かつて街で一番大きな市場があったところに建設しているのですが、トリノ街の顔の一つは、街中に散在している朝市です。 朝市と言っても、少なくとも昼過ぎまでは開かれており、場所によっては日没直前までやっています。 ながーい朝市は、いつも賑わっていて、生鮮食品やチーズなどの乳製品、パン、許可を受けた屋台ではちょっとした軽食、衣類、雑貨などが、安い値段で売られています。人気のある肉屋さんは、整理券を発行して合理的に販売していました。 皆忙しそうですが、どこかテンポの緩やかなところもあって、ちょっとしたやり取りの中にも人の温かみを感じることができます。 私たちも、果物やチーズなどを買い、取材の合間に"燃料補給"したりしました。ここに来れば、トリノの人たちの素顔に触れることができますね。 トリノはかつて労働力として、イタリア内外から人が集まった歴史があり、何代も前からトリノに住んでいるという家族の比率は他の都市に比べて低いとも聞きました。しかし、結果ヨーロッパ圏以外の出身の人はあまり多くないようにも感じました。 |
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また、夜に印象的なのは、街道のイルミネーションです。大きな通りには、写真のようないろいろな絵をモチーフにした電飾がありました。 繁華街でなくても、とても楽しい雰囲気が演出されています。 五輪が始まったら、それに因んだ演出をするのでしょうか・・・。 |
| 開幕前の五輪開催地の取材はこれまで何度か経験しましたが、派手さや贅沢感ではなく、既に存在する街や歴史をベースに準備が進められている点で、トリノは印象が際立っています。17世紀のバロック建築が立ち並ぶ古都で行われる大会の開催まであとわずか。本当に楽しみです。 |
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| さて、トリノで実質3日間の取材を終えた私達は、次の取材地へ車で移動することになっていました。移動する先は、フランス・ティーニュ。フランスアルプスの山間にある小さな村です。取材の狙いは、スキー・フリースタイル・モーグルのW杯今季初戦。長野五輪金メダリスト里谷多英選手がトリノ五輪の切符を手に出来るかどうか特に注目される大会でもあり、私達はそのことを軸に取材計画を練ってきました。 ところがティーニュへ向け出発する前日、里谷選手がカナダで練習中に転倒し、大会不出場の知らせが入ります。思わぬアクシデントの知らせに、私達は動揺しました。 更に悪いことは続きます。乗っていた車が故障するアクシデントに見舞われたのです。 |
| 夕方4時頃トリノの街を出発し私たちは、遅くとも夜10時にはティーニュに到着できそうでした。ところが、出発後2時間ほど走った高速の路上、シフトチェンジのときに何らかの原因でアクセルが戻らず、エンジンの回転数が異常に上昇したため、リミッター(エンジンの回転数を制限する装置)が作動してしまったようなのです。レンタカー会社に電話し、近くの町の営業所で車を交換してもらうことにしました。 それまで乗っていた車は、普段国内の取材で使うような便利なワンボックスでした。しかし、営業所に同じ車種の代車は無く、クレープ屋さんの屋台のような車種しかありませんでした。 冬の夜の峠越えには心もとない車。しかもタイヤも車自体も古く、ウインドウォッシャーもモーターが壊れていてフロントガラスも汚れたままで我慢を強いられました。取材用機材を含め100キロを軽く超える大荷物でギュウギュウ詰めの車の中、氷点下の田舎町でみすぼらしい気持ちになりました。 何か起きたときのために、一応非常食とナイフを買い込みました。 |
| 「ティーニュ到着は夜中になるかもしれない」と、宿に連絡を入れていた頃、車はいよいよ峠に差し掛かりました。この先は長いトンネルになっているので、少々天候が荒れていても道は封鎖されないと、私達は読んでいました。 しかし、車の交換などでかなりの時間を浪費し、トンネルの入り口に着いたのは夜8時15分。そこで突きつけられた現実は、なんとトンネル封鎖だったのです! 冬季夜間封鎖(夜8時〜朝6時)でした。しかも、よりによって"この日"から! あと15分早ければ越えられたのに。車の故障さえなければ・・・。 仕方なく、峠の下のクールマイヨールという村に急遽泊まることにしました。そして私達は翌朝6時に、一番でこのトンネルを駆け抜けたのです。 |
| 度重なる予定外の出来事。しかし、その後は順調でした。ティーニュに着いたのは、朝9時過ぎ。荷物だけホテルに投げ込み、モーグルコースに駆けつけました。天気は快晴。標高が高いこのあたりだけが雲の上に飛び出している感じでした。 | |
| 小さな村ながらW杯の会場として有名なティーニュは、広々とした斜面が広がり、稜線の向こうに、冬にもかかわらず深い青空が広がっていました。 そんなスキー場の一部、およそ250メートルのモーグルコースの周囲には、世界各国からトップ選手たちが集結していました。ほんの一握りのトップ選手たちがしのぎを削るW杯。しかし今年は五輪シーズン。各選手にとっての今季初戦の位置づけは、2月の五輪をベストに合わせて設定されている感じがしました。 女子の選手に関しては、2シーズン前に解禁になった3Dエアー(ジャンプのとき縦方向回転と横方向のひねりを合わせた難しい技)にチャレンジする選手が増え、例えばソルトレークシティー五輪の頃と比べてみると、モーグル競技全体の雰囲気が明らかに変わったように感じました。 とりわけ、注目の上村愛子選手がチャレンジを続けている7o(セブンオー)という難しい技に取り組む選手がここにきてぐんと増えたことには驚きました。 「7o」は、後ろ向きに1回転しながら横に2回ひねり、回転軸を斜めに倒したものです。技が難しいので、説明も複雑になってしまいます。そんな3Dを五輪本番で完成させるために、このW杯も一つの実験台にしてやろうという選手たちの思いが伝わってくるようでした。 |
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そして大会は、嬉しい結果が生まれました。日本の男子選手が表彰台に上がったのです。これまでも実績のある附田雄剛(つきたゆうご)選手です。 しかもその成績は、2位ながら、優勝者と最小ポイント差! 感動的な場面に立ち会うことができました。 これで五輪内定となった附田選手、本当におめでとうございます! 五輪本番ではみんなで応援しましょう! |
| 一方この大会は、既に五輪内定をもらっている上村愛子選手も出場するはずでした。ところが彼女は前日の練習中、第2エアーを終えた後のターンで転倒。おしりのあたりを強く打ってしまったのです。 骨などに問題はないものの、痛みがあるため大会は欠場することになってしまいました。 上村選手は、前述のように7oに以前から取り組み、特に昨季は、何度失敗しても大会で7oをチャレンジし続け、W杯最終戦でついに成功し、優勝。五輪内定も勝ち取ったのでした。 それだけに注目度の高かった五輪シーズン初戦。里谷選手に加え上村選手の滑りを見られなかったのはとても残念でしたし、二人の故障が早く良くなることを祈るばかりでした。 |
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| ところで、既に欠場することを決めていた里谷選手は、その後の五輪代表選抜へ向け、視察と練習のためにティーニュに来ていました。私たちは、彼女が今後に向けどのような対策を立てているのかを取材させてもらいました。その内容は【里谷多英HP】で近日中に公開させていただきます! しかし、元々予定していた独自取材に関しては、里谷選手と上村選手の欠場でかなり目論見が外れてしまいました。もちろんこういうケースも想定していなかったわけではありませんが、痛いことは痛い・・・。 「こんな時、取材者として新たに指せる次の一手は無いのだろうか・・・」。あれこれ可能性を考えるうち、ふと一つのアイディアが浮かんできました。ただし取材期間もほとんど残されておらず、いろいろな制約がある中ではちょっとしたチャレンジでした。 土壇場で思いついた打開策とは、いったいどんなものだったのか・・・。それは、また近日中にアナマガの中で紹介させていただきますね! |
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