アナルームニュース 2003年01月28日号

木佐彩子アナ、フジテレビ卒業エッセイ 私を支えてくれた“特効薬”
編集長【編集長】
今やメジャーリーガーの妻にして、一児の母。育児休暇中だった我らが木佐彩子アナウンサーがついに1月31日をもって退社する事になりました。視聴者の皆さんだけでなく、アナウンス室内でも人気者だった木佐ちゃん。
退社を前に皆さんにラストメッセージです。

みなさま、ご無沙汰しております。。。木佐です 
覚えていらっしゃいますでしょうか???

この度、1月31日をもって退社することになりました。

8年10ヶ月…とっても“濃い時間”でした。
初めてテレビに出たのは確か平成6年6月6日の「めざましテレビ」でした。(例年は27時間テレビが新人のお披露目ですが。。。)
同期(佐野武田、富永)の4人で、なんだか“キョロ キョロ”してるうちに、終わってしまったという印象しか残っていません。

そこから、同期4人それぞれの分野で、四苦八苦の日々がはじまりました。
私は「となりのパパイヤ」という午後の情報番組の担当になりました。(この番組を知っている方がいたら とっても嬉しいです!!!)

ロケのため“4日連続日帰り出張”(福岡、札幌、神戸、福岡)となり、始発便に乗る為に羽田に4日連続で通ったのを今でも鮮明に覚えています。
こんなのはみんな当たり前でした。

何が悲しいかと言うと、私は何をやらされても、とにかく“ヘタでヘタで”。。。 いつも、反省会の“はしご”でした。。。

でも、そんな私が、なんとか8年10ヶ月もやってこられたのは、みなさまからのキサ ガンバレ!”のお手紙でした。
ずーっと、大切に机の下に取ってありました。(すみません 机の上ではなくて。。)何よりも効く特効薬でした。。。本当に ありがとうございました。。。


あとは“きんきの塩焼き”です。

これは、昔フジテレビがあった河田町時代に戻りますが、当時、会社から家に帰る方向が一緒だった同期の武田と少ない時間をぬって食べた“赤ちょうちんのきんきの塩焼き”の事です。
私達は、決して器用なアナウンサーではなかった為(一緒にしてゴメン、武田!!)失敗の連続でした。。。そんな時、お互い慰めあって元気づけ合いながらつっついたのが“きんきの塩焼き”でした。。。

新人の研修で、普段はとってもきさくで自由な益田由美さんに、社会人として【時間厳守】そして【言い訳はしない】この2つの心得を教わり、“ゆみさんっ子”の私達は、これをできるだけ忠実に守ろうと決心していました。
でも、この“赤ちょうちん”でだけは解禁!!!

あそこはこうだったから こうするしかなかったのー!

なんて言い訳を聞いてもらっては、すっきりとした気分で次の日を迎えていました。
話が長くなりましたが、この“きんきの塩焼き”、小さーいものでも2500円もするんです。しかも、赤ちょうちんのお店で。。。
いろんなサイズのきんきがガラスケースに並べてあって、普段はおじちゃんに“一番 小さいの”と注文していましたが、とってもツライ事や、とってもがんばった日は、二人でごほうびにと

 “おじちゃん 大きいの!

と頼んでいました。 
“きんきの塩焼き”も、私の“特効薬”のひとつでした。

今でも、スーパーで“きんき”をみると、あの頃を思い出します。
初心に戻る 瞬間です。。。。。


フジテレビアナウンス室の先輩方、そして後輩のみんな、一人、一人との思い出があります。それは 私の胸にしまっておきます。。。。
振り返ってみると、とにかく「ここでなければ やってこられなかった!」とつくづく思います。

この場をかりて

視聴者のみなさん、スタッフのみなさん、共演者のみなさん、長い間支えていただいて本当にありがとうございました。


P.S. 近況報告を少し…
子育て。。。一応、しています。。。これまたまわりの人に支えられて。。。
いろんな事を子供に鍛えられながら。。。そしてこの度、私が小・中学校時代を過ごしたロスアンゼルスに、縁あって住むことになりました。今後お仕事はのんびりと続けて参ります。

また、みなさんといつかお会いできる日を楽しみに自分を磨いておきまーす!
それでは、今から忙しい女子アナのみんなが集まってくださるということなので行ってきます!!幸せ者です!!

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