アナルームニュース 2002年12月17日号

長谷川豊アナの 超・キンチョー!『スーパー競馬』メイン実況 デビューの日。
編集長代理【編集長代理】

とくダネ!』のリポーターとしておなじみの長谷川アナ
彼のもう一つの顔は、競馬中継アナウンサー

これまでも、『競馬ダイジェスト』を担当したり、BSフジの『競馬大王』の中でメインレース以外の実況を担当したり、また『スーパー競馬』でもゲートリポートやパドック実況など、メインをはる先輩アナのアシスト役をこなしつつ、着々と修行を積み重ねてきた。(負け馬券も積み重ねてきた。)

そんな長谷川アナに、ついに看板番組『スーパー競馬』でメイン実況を担当するチャンス到来!その舞台裏は果たして?
アナマガ独占!(あたりまえだ)体験告白手記、ついに公開!

入社4年目の長谷川です。
実はこの程、競馬実況デビューいたしました。

僕がまだ大学2年生だった頃、本格的に「将来アナウンサーになりたい」と希望するようになりました。
理由は競馬の実況」がしたかったから・・・。

当時から競馬ファンだった僕は、競馬実況のあざやかな語り口、しびれるような決めゼリフにすっかりとりこになっていました。
特に印象に残っているのが、先輩・三宅アナウンサーの日本ダービーの実況。

「外からコンコルド、外からフサイチコンコルド! 音速の末脚が、ダンスインザダークに襲いかかる!」

次の日のスポーツ紙の一面はすべて「音速の末脚が…」という見出しで埋まっていました。
“言葉”というものを使って、歴史の瞬間を料理していく。
実況アナウンサーの、何というか、職人的とも言える“技”にすっかりあこがれていました。

念願かなって、競馬中継をしているフジテレビに入社出来、実況の練習をして どれ程、“実況”という行為が
難しいものかを実感しました。壁にも何回もぶつかり「もう自分は実況が出来ないんじゃあないか…」とすっかりヘコんだ時期もありました。
しかし、その度に先輩方に支えられ、何とか修行3年間。
ついに『スーパー競馬メイン実況デビューとなったわけです。


 

・・・と言っても、まだまだ駆け出しのヒヨッ子。
ハッキリ言ってヘタクソなのが自分でも分かるレベル。
前日の夜は緊張で、まるで遠足前夜の小学生のように、ほとんど寝られずに迎えた当日。

  解説の競馬エイト・吉田均さんも、実況席到着。 さぁ本番!  

 

競馬の実況は当然スポーツ実況ですが、レース中は解説者は一切助けてくれません。
しかも馬名を間違える訳には断じていけない。
お金がからんでいますから。

 

・・・極度の緊張状態でイザ本番。

競馬班チーフ、堺正幸アナは、デビュー戦の僕のために比較的出走頭数も少なく、距離も長めの、落ち着いて実況出来るレースを選んでくれていました。

しかし!

 

僕の普段の行いが悪いせいでしょう・・・。

ゴール前は大混戦!!
しかも、年間何回もない 1着同着!!!
(1800mも時速60kmで走って、なんで同着なんだー!!)

編集長代理

つまり、1着の馬が、2頭いる!?
それぢゃぁ、どっちが有利とかって言い切れないのはあたりまえ。

 

当然ペーペーな上、ガチガチ状態の僕にそんなレースをうまくさばける訳もなく、大失敗・・・。
先輩方も「まぁあれは仕方ないさ」となぐさめの一手。
(上手に出来れば、逆にダメ出しをしてもらえます)

レース後はほとんど死人と化していました。


「あんな風になりたい」から始まって、何とかスタート地点には立てた僕。
しかし、課題は山積みです。
「ああなりたい」と思った事を現実にするのは本当に大変な事なんですね。
まだまだ修行あるのみ!です。
もし今後も僕が実況する機会があれば、どうか甘―く見守ってやって下さい。いつか…!!

編集長代理【編集長代理のひとりごと】

本番で“普段通りにやること”が、なんと難しいことか。
こんなのカンタンさ、と思っていたことも、いざ自分がやってみると、なぜ自分はこんなこともできないんだろう、に変わってしまう。ガチガチの緊張、冷や汗、自分自身へのもどかしさ・怒り・焦り・無力感・・・。

かくいうわたしもそうでした。
10ン年前の実況デビュー戦。
みんなそうやって、しびれて、痛い目にあって、経験して、学んで、工夫して、場数を踏んで、磨かれるんだよねー。
はっせー、まずはおつかれさん。&おめでとう。

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