アナマガ

どちらかというと シッカリ書きたい人のためのコーナー 10年以上の渡り、続いてきたアナルームニュースの中で 好例の連載企画を「コラム」という形で集めました。 個性あふれるラインアップ!ブログとはひと味違う魅力をお楽しみください!

アナルームニュース 2010年02月16日号

いい加減でいこう! ~アクセントは最初の「い」に~ Vol.12 恩師

98年の長野五輪以来、スピードスケートやショートトラックの取材に携わることが多かった私は、それ以来スケートに“ハマ”り、現在に至ります。今回バンクーバー五輪に関して、もちろんスピードやショートは特に気になる種目です。



さて、日本ショートトラック界の山あり谷ありの歴史を、皆さんはご存知でしょうか。


かつて日本のショートトラックは、世界選手権で85年~87年に男子3連覇、女子は80年~87年で5度も優勝、五輪公開競技となった88年カルガリーでは、いきなり金メダル・・・。


しかし、98年長野五輪で西谷岳文選手が金メダル、植松仁選手が銅メダルを獲得した後は五輪2大会メダルなし。今では世界大会は決勝に残るのがやっといわれても仕方がない状況になってしまいました。


約2年前、ショートトラック界は大改革を図ります。それまでチーム毎の強化努力に頼っていた体制を変え、オフの期間からナショナルチームを組織し、“チーム日本”として強化することにしたのです。最も重要であるヘッドコーチは、世界トップの実力を持つ韓国からキム・サンテ氏を招聘しました。そして、キムコーチの考えの下、年間100日以上に及ぶ合宿を軸に、これまでと全く違った強化スケジュールを組んだのです。



2008年6月、合宿当初、練習の内容は、代表レベルの選手は行わないような、スケートの基礎でした。陸上でスケート特有の低い姿勢をとり、正しいスケーティングの形を何日もかけ身体にすり込みます。低い姿勢を維持するのは相応の筋力が必要で、筋力の弱い人はすぐに腰が浮いてしまいます。姿勢が高くなると、合理的なスケーティングができなくなって、速いスピードをキープできません。ですから、低い姿勢を維持する筋肉がまず必要なのです。


すると、驚くような事実が露呈しました。レースで他を圧倒するような選手が、練習では他の選手の後塵を拝するケースがでてきたのです。レースでの強さと練習の到達度は別でした。国内では勝てても世界で勝てない理由の一つがそこにありました。選手にとっては一大事でした。・・・これまでの実績やプライドを捨て、ボロボロになってでも、世界トップに近づくために努力するのか、それとも現在の状況に甘んじるのか・・・。実績があればあるほど、この苦しみは深いものでした。


ある選手は、スケートのセンスは抜群、トップスピードの速さにも絶対の自信を持っていました。しかし、キムコーチの“基本練習”を当初うまくこなせませんでした。キムコーチは、向上心を煽るため、習熟度順に並んで練習させました。チームの中で後ろのほうに甘んじるのは、これまで常にトップクラスだったその選手にとっては大きな屈辱でした。


また、前のシーズン中に骨折し、コンディションが万全ではなかったある選手は、左右の脚力の違いをコーチに見抜かれ、筋トレの個別の課題を出されました。更に大学の試験が合宿の日程と重なり、泣きっ面に蜂。他の選手よりも辛い練習メニューを一人続けなければなりません。プライドをズタズタにされ、パンパンに張った脚でやっと立つような状況に、その選手の頬は、幾度となく涙で濡れていました。




キムコーチは当時32歳。現役選手だと言っても通用するような風貌です。しかし、韓国ではコーチと選手の関係はあくまで“縦”の関係。日本においても、そのスタイルは崩しません。物腰は柔らかくても、静かな厳しさを貫くキムコーチとは、いったいどのような人なのでしょうか。


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キムコーチは、かつて長野五輪でリレーに出場し、銀メダルを獲得。バンクーバー五輪代表選考会の後現役引退を表明した寺尾悟選手と共に戦ったほぼ同世代の選手でした。34歳まで現役第一線で活躍を続けた寺尾選手に対し、キムコーチはやがて指導者としての経験を積み、ここ数年は中国に請われ、選手の育成をしていました。


韓国では、ショートトラックのプロのコーチが存在します。将来有望な選手は、世界で戦えるようになるために、優秀なコーチを探そうと必死になります。コーチ選びは、成績のよい選手を育成したかどうかが大きな判断材料なので、コーチも必死です。人気のあるコーチの下には、優秀な選手が集まり、大舞台で結果を残すことによって、コーチとして大成できるのです。




そんな韓国のスケート強化のベースはどこからきたのでしょうか・・・。




今から約20年前、まだ世界で結果を出せなかった韓国のスタッフは、ショートトラックの基本を学ぶため、世界で最も強い選手を擁するチーム、すなわち日本のコーチの下を訪れました。それは、謂わば世界のトップコーチでした。そのとき日本のコーチは、ショートトラック競技の振興と更なるレベルアップに寄与するべき立場として、育成のノウハウを教えたそうです。すなわち、現在の韓国の強さの源は、日本のスケート技術なのです。


それから約20年、立場は完全に逆転し、今度は日本が韓国から学ぶ番になったのです!


そして、つい2年前、韓国連盟のある人物に、日本の連盟内部から連絡が入りました。内容は、世界最速の滑りを教えて欲しい、とのこと。韓国サイドはその要求を受け入れました。その結果、キム・サンテ氏が、日本に送り込まれたのです。


実は、このキムコーチ招聘に関わった両国連盟のメンバーは、かつて日本から韓国へノウハウが伝授された際の当事者たちでした。20年の時を越え、スケートの技術が日本から韓国へ、そしてまた日本へ。“恩返し”の物語のように感じました。スポーツという厳しい世界においてそのような事実があったということは、“素人”の私には大きな驚きでした。しかし、それは厳然たる事実なのです。当事者たちの信頼の礎となったのは、単なる勝敗を超越した“スポーツ愛”、“トップアスリートのプライド”と“友情”なのだと思いました。



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キムコーチの指揮の下で約1年半。それぞれに悩み、頑張った選手たちは、いよいよ五輪の舞台に立ちます。この間の“韓国式”の練習は、どこまで身についたのか・・・。理想を言えば、まだまだゴールは先だと思います。しかし、“日本らしいスケーティング”が育つ素地ができてきているのは確かなようです。


勝負と国境を越えたダイナミックなスポーツの交流に、私は少しだけ触れることができました。単なる勝ち負けやライバルの切磋琢磨ではなく、スポーツで相手をリスペクトできること。その晴れ晴れするようなドラマを垣間見る思いでした。


このような経緯を持つショートトラック陣の活躍に、私はとても期待をしています。それは、単なるメダルへの期待ではありません。このナショナルチームが一丸となって頑張ってきたことが、バンクーバーのリンクでの滑りに表れているのを、この目でしっかり見届けたい気持ちで一杯なのです。