CLAMP TALK SPECIAL : ASKA


TK in Talking with ASKA.



ASKA:
ロンドンはね、……あ、そういえば、小室はロンドンのどの辺に住んでたんだっけ?

tk:
僕はね、上の方です、地下鉄の路線図でいうと。スイスコティッジ。地下鉄の駅でいったらね。

ASKA:
僕はね、ノーザンラインっていう路線があるんだけど、そこのフィンチェリ。

tk:
わかります、わかります。

ASKA:
昔、日本人学校があって、日本人が多くて。

tk:
フィンチェリーロードっていう道あるでしょ?あそこにレンタルビデオ屋さんがあって。行きましたよ、僕も。ジャパンマーケットじゃないけど、そういう類の店もあるでしょ。

ASKA:
そうそう。あのジャックね。でも、高いんだ。売ってるもの全部。

tk:
そうですよね。普通のTVのドラマを録画したビデオをお金とって貸してんだもんね。

ASKA:
でも、文句いえないでしょ。日本から送られてきた、た だダビングしただけのものを貸しててもね。向こうにいる人にとっては、有り難 いんだよね、それが。だから誰も文句いわない。ま、面白い商売だなと思ったけ ど。

tk:
お家もあるんですか?

ASKA:
2回行って、2回とも借りたんだよね。よく行ってるから、向こうに家持ってると、すぐ言われちゃうんだけどさ。そんなことないよ。小室は家持ってんの?ロンドンに。

tk:
持ってないです。一時期は永住といわれてたけどね。ところで、スタジオは?

ASKA:
スタジオはね、いろんなところをちょくちょく替わってたんだけど、まあスタジオの機材なんてものはどこもたいして変わんないしね。

tk:
レコーディングとか、ちゃんと目的があって行ったりしてるよね。

ASKA:
そうそう。だから向こうに行って、半年間なにやってる かっていうと、日本での忙しさの中で仕事してる状況と違って、自分の仕事だけ に集中できるでしょ?そうすると、時間制限というものがないから、いつまでも やっちゃうことがあるわけ。だから「アルバム一枚作るのに、本当にこんな時間 かけて作っていいのかな」って気持ちが向こうでした。でもそれが結果として僕 には良かったと思うよ。僕が行く前に、いきなり小室に電話してさ、「ちょっと 教えてくれないか?ロンドンの状況を」っていうのがあったじゃない。あのとき はずいぶんと聞かさしてもらったね。

tk:
懐かしいですねぇ。

ASKA:
あれは本当に有り難かったですよ。あれ、勇気になったしね、向こうに行ってやれるっていう。

tk:
でも、あれぐらいの時期から変わりましたよね。音楽も変わったしね。

ASKA:
って言われんだけどね。自分では「なんだろう?」って 思ってる。向こうに行って、向こうで影響されるようなことってなんにもなく て、ひたすら家にこもって作ってたでしょ?で、向こうのミュージシャン達と、 そんなにワイワイやった覚えもないしね。ただ、向こうに行くと、自分は日本で 音楽をやってるんだっていう……なんていうんだろう……?疎外感みたいなもの を味わうじゃない?孤独感を味わったりするでしょ。

tk:
そうだね、それはね。

ASKA:
だから、そういうとこからね、日本人だという意識が芽生えて、その中で確立するものがあったんだろうね。あえて言えば。

tk:
ですかね。やつぱり音楽的な流れから聞くから、変わった なって思いましたよ、すごく。変わったなって思った。別に今まで一回もなかっ たものじゃないとは思うんだけども、飛鳥の中のどこかにあったものだと思うん だけど、それをシングルに持ってきちゃえっていうような、そういう発想が変 わったのかな、と。いつもはアルバムの中の一曲にしてたのかも知んないんだけ ど、それを思いきって、世の中にボーンと出しちゃえっていうような感じはした んだけどね。

ASKA:
それはある時期から感じてる。自分でも。

tk:
僕もそうですけどね。

ASKA:
僕ら79年のデビューなんだけどさ、当時はシングル ヒットこそが全ての時代であって。チャートをつける番組もすごい多かったりし てね。で、なにがシングルかって言われた時に、自分がノルよりも、まずヒット することが大切だって。それでずいぶん動かされちゃったので、いつの間にか自 分の中で、ヒット曲とはこういうもんだっていう定義が出来ちゃってて。でも音 楽を長くやっていくと、ライブの楽しさであったり、自分たちがなにやんなきゃ いけなかったりっていうことが、だんだんはっきりしてくるでしょ。そうすると ね、ヒット曲って関係無くなっちゃうのね。今自分たちがやりたいものを、紹介 したいんだよって気持ちになった時に、それは姿勢にも現れるよね。

tk:
そうかも知れないですね。ま、でも一番理想ですよね、それはね。

ASKA:
それをやらしてくれたスタッフにも感謝しなきゃいけないんだけど。スタッフも僕らの意識と同じように変化してくれたからね。

tk:
で、最近はほとんどTVにも出ないですよね。

ASKA:
TVってね、そんなに出てるつもりないんだけど、ちょっと出るとすごく出たって言われちゃうんで。

tk:
そうですよね。俺なんかもすごく言われちゃうんですけどね。出てる、出てるって。そんなに出てる意識は無いんですけどね。

ASKA:
いや、出てるぞ。

tk:
出てますか?

ASKA:
だって雑誌見ると、必ずおまえの顔が出て来るもん。小室の顔はよく見るよ。

tk:
今はね。今までで一番多いかも知れない。

ASKA:
そうだよね。

tk:
だから、そういう自分と比べると、飛鳥さんは最近ワザと出ないようにしてるのかな?とか思ってたけど。飛鳥さん個人としてなのか、チャゲアスとしてっていうかはわかんないけど。

ASKA:
表向いていろんなこと言うと、また誤解されちゃうんだけど、やっぱり、出ちゃいけない時期とか、自分達の中で感覚的にであるでしょ?

tk:
ありますね。わかります、それ。

ASKA:
感覚なんだよね。なんかその、出ちゃいけない匂い?そ こに敏感になりたいなって思ってさ。ま、ソロの時はソロで出ましょう、と。だ からチャゲもそうだろうね。もうソロはソロだ。チャゲアスと関係無いんだ。好 きなことやっちゃおう、と。でもCHAGE&ASKAで出る時には、守るべき は守って、いろんなことの匂いを嗅ぎ分けていこうかな、というみたいのがあっ てね。それはやってますよね。

tk:
うん、それはわかりますね。隣に一人とか、仲間の人いるいないでも、ずいぶん違うんですよね、きっとね。

ASKA:
TMNではTVにでなかったよね?

tk:
TMNでなかったですね。

ASKA:
TMNと一緒にTVに出たのって、ヒットスタジオで1〜2回一緒になったぐらいかな?

tk:
かも知れませんね。

ASKA:
もう今年の8月で16年なんだけど、その間に音楽シーンもずいぶん変わったもんね。アナログからデジタルへとか。

tk:
そう、だって16年前には無かった楽器で作ってんだもんね、今は。

ASKA:
80年代、いわゆる打ち込み物が主流になる頃、僕は新し物好きだったから注目しててね。そしたら、たまたま知り合いがそれに飛びついて、そこに足繁く通っててね、興味湧いちゃったんだよ。

tk:
そこで興味湧いたのが良かったよね。

ASKA:
それにそれまでギターで作ってたけど、ちょっとね、も うギターも合わないんじゃないかな、といってピアノは弾けないしな、と思って いる時だった。そん時にキーボードの面白さを知ったわけ。で、実際作りだし て、それで打ち込みも自分で始めちゃったでしょ。それからだよね、曲作るのが 面白くなって。いわゆる量産体制っていうのかな?いい物も悪い物も含めてたく さん作ったかな。

tk:
そうですね、そこは大事だと思いますね。やっぱり興味持 てないとね、可哀想なぐらい置いてけぼりになっちゃうでしょ、今は。吉田拓郎 さんとかもすごいよね、TMNの時に拓郎さんのコンサートに行ったことあるん ですよ。三人で。たまたま近くでやってたので。その時、楽屋に呼ばれて話した の。ウツと木根はルーツがフォークだから、ふたりのほうが話が合うだろうって 思ってたら、拓郎さんの目がバッとこっちを向くわけ。「小室君は、どんな機材 を使ってんの?ソフトは何?」とかいう話に急になっちゃって。それもすごい前 ですよ、もう。

ASKA:
拓郎さんはすごいよ。当時AKAIの12chの 1212って言われてたオールインワンのテレコがあったんだけど、僕も結構早 く買ったんだよね。そん時に、拓郎さんがそれでアルバム作ってるって聞いて、 びっくりしたよねぇ。自分で打ち込みとかなんだかんだやってるって。アコース ティックギター持って、ハーモニカ吹いてるっていうイメージしかなかったか ら。すごい、音楽のラインに自分を沿わせてるなぁ、みたいなねぇ。作り上げて るなって気がしたね。

tk:
今は完璧にやんなきゃいけないでしょ。知ってなきゃ無理っていうね。

ASKA:
もうスタジオなんかでも話し通んないしね。

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